概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
頭巾山城(とっきんさんじょう)は、福岡県糟屋郡宇美町大字宇美と太宰府市、飯塚市の境界付近にそびえる標高901メートル(比高約650メートル)の三郡山地・頭巾山頂部一帯に築かれた戦国時代の高所山城跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や宇美町の公的登山・史跡資料に登載されている。霊峰・宝満山(標高829メートル)と三郡山(標高936メートル)の主稜線鞍部北側に位置し、山頂の主郭を中心に尾根筋に沿って平坦な段削平地が連郭状に配されている。山頂東下には尾根を分断する大規模な堀切が穿たれ、その東側には二段の削平地が広がり、さらに三郡山方面へと続く縦走路鞍部には巨大な空堀(堀切)が掘削されている。西尾根斜面にも堀切が認められ、修験道の霊場と一体化した天険の高山要塞を形成している。
歴史的役割
宝満山城や岩屋城を本拠とした豊後大友氏の有力重臣・高橋三河守鑑種によって築かれたと伝えられる。標高900メートルを超える高所に位置することから、常時駐屯の城というよりは、宝満山城から三郡山・砥石山(鬼杉城・懸尾城方面)へと連なる三郡山地縦走尾根ルートを完全に掌握・管制し、筑前・筑豊間の連絡を確保するための軍事監視・通信中継拠点、あるいは緊急時の詰城・防衛拠点として機能した。永禄年間から天正年間に至る大友氏・毛利氏・秋月氏らの北九州覇権争い、および天正14年(1586年)の島津軍による岩屋城・宝満山城総攻撃の際にも山岳防衛線の一翼を担った。戦国末期の豊臣秀吉による九州平定に伴い役目を終えて自然廃城となったと推測される。
見どころ
山頂東下に明瞭に残存する大規模な堀切遺構、堀切東側に広がる二段の広大な平坦削平地、三郡山方面への縦走路直下に穿たれた巨大な空堀(堀切)遺構、西側尾根筋に確認できる遮断堀切、標高901mの山頂部から福岡平野・博多湾・筑豊盆地(飯塚方面)・宝満山・三郡山連峰を一望する山岳要塞ならではの圧倒的な大パノラマ眺望
ご当地グルメ
宇美八幡名物子安餅、昭和の森BBQ・ジビエ料理、博多ラーメン、博多もつ鍋、鶏すき(筑前郷土料理)