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100名城・続100名城 -
別称 高丸山城、山口高丸城、高丸城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 243.4m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者宗像氏
築城年戦国時代
廃城年天正年間
主な城主宗像氏、吉原氏、小力氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:243.4m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

高丸城(たかまるじょう)は、福岡県宮若市山口(旧鞍手郡若宮町)の犬鳴川上流西岸にそびえる標高241メートル(比高約120メートル)の高丸山山頂部および派生尾根上に築かれた戦国時代の山城跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や宮若市遺跡台帳に登載されている。犬鳴山地と宗像・鞍手盆地を結ぶ山間要衝に位置し、山頂の主郭(標高約241m)を中心に尾根筋に沿って平坦な削平曲輪が連郭式に配されている。尾根筋には敵の侵攻を遮断する堀切や空堀が穿たれ、曲輪縁辺部には切岸加工や土塁痕跡が残存する。宗像大宮司家・宗像氏の有力本拠の一つである宮永城(みやながじょう)を西側後背から防衛・哨戒する要塞として機能し、犬鳴川上流域の集落平野や宗像・糟屋方面へ抜ける山間連絡路を眼下に抑える天険の要害に占地する。

⚔️ 歴史的役割

宗像大宮司・宗像氏が宮永城防衛の重要拠点として築城・配置したと伝わる。文献史料『筑前要領』には高丸城代として吉原源九郎や栄田十郎宮代の名が記され、『福岡県地理全誌』には城主として小力又三郎が記録されている。天文11年(1542年)4月、豊後大友勢が鞍手郡一帯へ侵入した際には、周辺の茶臼岳城や尾園城、岡山城、中尾城、寺山城、篠城、黒丸城などとともに攻撃対象となり、激しい攻防戦の舞台となった。戦国後期における大友氏、毛利氏、秋月氏、宗像氏らの覇権争いの中で、宗像郡と鞍手郡・筑豊盆地を結ぶ防衛ラインの要衝を守備したが、天正14年(1586年)前後の宗像氏断絶や豊臣秀吉による九州平定に伴い、役目を終えて自然廃城となったと推測される。

👀 見どころ

標高241mの高丸山山頂に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、尾根筋を遮断する堀切および空堀遺構、曲輪縁辺部に残存する土塁痕跡、尾根に沿って段階状に造成された連郭式の段曲輪群、山頂部から犬鳴川上流の山口盆地・若宮平野・宮永城跡・西方の西山(鮎坂山)方面を見晴らす山岳哨戒拠点ならではの眺望景観

🍲 ご当地グルメ

宮若追い出し猫せんべい、脇田温泉名物料理、宮若産地鶏料理、ホルモン焼きうどん、若宮みそを使った郷土料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(12城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線福間駅または赤間駅から西鉄バス(福間~若宮・宮田方面行き)で「山口」または「若宮コミュニティセンター」方面下車、山口地区より高丸山南東山麓の林道・山道を経て山頂主郭まで登山徒歩約35分(またはJR福間駅から車で約25分)

車でのアクセス

九州自動車道 若宮ICから県道9号および県道30号(飯塚福間線)経由で西へ車で約10分、または古賀ICから車で約20分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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