概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
高城(塔原高城)は、福岡県筑紫野市大字塔原の天拝山(標高257.4メートル)から北東へ派生した標高147.2メートル(比高約100メートル)の独立丘陵・高城山山頂部に築かれた戦国時代の山城跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や筑紫野市埋蔵文化財包蔵地台帳に登載されている。山頂の主郭を中心に南北および東方の派生尾根筋に沿って平坦な削平曲輪が連郭状に配されている。南西に続く天拝山本峰側の尾根続きには敵の侵攻を断ち切る鋭い堀切が穿たれ、主郭および各曲輪の周囲には急峻な切岸加工や土塁痕跡が残存する。高尾川および鷺田川流域の平野部、古代官道(水城西門ルート)や大宰府政庁跡・水城跡を北東眼下に直接俯瞰する天険の要害に占地する。
歴史的役割
勝尾城を本拠として筑前・肥前国境一帯を領した有力国衆・筑紫氏(筑紫広門)の防衛ネットワークを構成する重要な前線拠点・支城として機能した。天拝山周辺は、大友氏の拠点である岩屋城・宝満山城の高橋紹運勢力と筑紫氏勢力が熾烈に対峙した最前線にあたる。天正13年(1585年)の宝満山城奪取戦や、天正14年(1586年)の島津軍による岩屋城・宝満山城総攻撃に際して、近隣の和久堂城や堂ノ山砦とともに連携し、大宰府西南部および筑紫平野一帯の敵軍動向を警戒・迎撃する要衝を担った。天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴う領主層の再編と近世領主支配の確立に伴い、山岳防衛拠点としての役割を終えて自然廃城となったと推測される。
見どころ
標高147mの高城山山頂に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な高切岸、天拝山本峰側へと続く南西尾根を遮断する堀切および空堀痕跡、曲輪境界部に残存する土塁痕跡、派生尾根に沿って段階状に配された連郭式の段曲輪群、山頂部から大宰府政庁跡・水城跡・四王寺山(岩屋城跡)・宝満山・筑紫平野一帯を見晴らす抜群の眺望景観
ご当地グルメ
二日市温泉名物料理、太宰府名物梅ヶ枝餅、博多ラーメン、筑紫野ご当地スイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)