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100名城・続100名城 -
別称 内野城、内野高石山城、高石山城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 479.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者秋月氏
築城年戦国時代
廃城年天正15年(1587年)
主な城主秋月氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:479.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

高石山城(たかいしやまじょう)は、福岡県飯塚市内野(旧嘉穂郡筑穂町)の筑前内野駅西北西にそびえる標高483メートル(比高約400メートル)の高石山山頂部および派生尾根上に築かれた戦国時代の拠点山城跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や城郭放浪記等に登載されている。急峻な高山山頂の主郭を中心に尾根筋に沿って細長い削平曲輪が連郭式に配されている。主郭南西尾根を遮断する二重堀切や、北尾根に穿たれた堀切、各曲輪周縁の急峻な切岸加工面が良好に残存する。東へ伸びる尾根先端には高石山城東砦(仮称)、北へ伸びる尾根上には茶臼山城が配され、一大防御ネットワークを形成していた。筑前国と筑後・肥前・筑紫平野を結ぶ最大要衝である冷水峠北麓および長崎街道内野宿の谷筋街道を直下に見下ろす天険の要害に占地する。

⚔️ 歴史的役割

戦国大名・秋月氏の有力な端城(重要支城・境目要塞)として機能した。冷水峠一帯は、筑前国嘉穂盆地と筑紫平野(太宰府・筑紫野方面)を結ぶ交通・軍事の死命を制する要衝地であり、秋月氏にとっては西方の宿敵・大友氏(高橋紹運・立花道雪)や筑紫氏の東進を阻止する防衛の最前線であった。高石山城は標高483mの高所から街道を行き交う軍勢の動向を監視し、敵の進撃を邀撃する物見・防塞拠点を担った。天正14年(1586年)の島津軍による筑前侵攻の際にも冷水峠越えの軍事ルート上の監視拠点として緊迫下に置かれたが、天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴い、秋月種実の日向高鍋移封により役割を終えて自然廃城となった。

👀 見どころ

標高483mの高石山山頂に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く高切岸、主郭南西尾根筋を厳重に分断する二重堀切遺構、北尾根に穿たれた一条の堀切、細長い尾根地形を巧みに加工した連郭式の段曲輪群、東砦や北尾根の茶臼山城と連動した山岳要塞ネットワークの縄張構造、山頂部から内野宿・冷水峠・筑穂盆地・三郡山系・嘉麻方面を見渡す比高400mならではの圧倒的パノラマ眺望景観

🍲 ご当地グルメ

飯塚名物ホルモン鍋、筑穂牛ステーキ・焼肉、たまごかけご飯(筑穂名物)、ひよ子本舗吉野堂銘菓、かます餅


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(37城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR筑豊本線(原田線)筑前内野駅から徒歩約15分で登山口、横山林道・登山道を経て山頂主郭まで登山徒歩約60分(筑前内野駅から西北西へ約1.4km、比高約400m)

車でのアクセス

冷水道路(国道200号バイパス)内野ICから国道200号旧道および林道経由で北西へ車で約10分、登山口より徒歩約60分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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