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100名城・続100名城 -
別称 砥石山城、鬼杉砦、砥石城、鬼杉城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 827.9m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者高橋鑑種
築城年永禄年間(1558~1570年)頃
廃城年天正14年(1586年)頃
主な城主高橋氏、秋月氏、大友氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:827.9m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

鬼杉城(砥石山城)は、福岡県糟屋郡宇美町大字宇美と飯塚市(旧筑穂町)の境界にそびえる標高828メートル(比高約600メートル)の三郡山地・砥石山山頂部および派生尾根上に築かれた戦国時代の山岳城郭跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や遺跡台帳に登載されている。三郡山連峰から北東へ延びる主稜線上の最高所を平坦に削平して主郭を構え、南北の痩せ尾根筋に沿って複数の削平曲輪を連郭式に配している。主郭南側および尾根続きには敵の直進を遮断する堀切が掘削され、曲輪縁辺部には切岸加工や土塁痕跡が残存する。東麓の内住・懸尾城や飯塚・穂波平野、西麓の宇美・糟屋平野、南方の宝満山城や頭巾山城を一望する天険の高山要塞であり、筑前と筑豊を結ぶ山岳縦走路を扼する要衝に位置する。

⚔️ 歴史的役割

宝満山城主・岩屋城主を務めた豊後大友氏の重臣・高橋三河守鑑種によって築かれたと伝わる。永禄12年(1569年)に鑑種が大友宗麟に反旗を翻した際や、その後の毛利氏・大友氏の抗争、さらには秋月種実による筑前侵攻に連動して軍事的緊張下に置かれた。飯塚・嘉穂地方と博多湾沿岸を結ぶショウケ越や八木山峠の南側に位置し、山間部の出城である懸尾城などと連携しながら、三郡山地の主稜線縦走路を掌握・管制し、筑豊方面からの敵軍接近をいち早く察知して後背の諸城へ連絡する哨戒・通信・迎撃の中継拠点として機能した。天正14年(1586年)の島津軍による岩屋城・宝満山城侵攻に伴い山岳防衛線の一端を担ったが、天正15年の豊臣秀吉による九州平定に伴い役目を終えて自然廃城となったと推測される。

👀 見どころ

標高828mの砥石山山頂に造成された主郭平坦削平地および周囲を取り巻く急峻な切岸斜面、主郭南尾根を断ち切る遮断堀切および空堀遺構、尾根筋に沿って段状に連なる連郭式の小曲輪群と土塁痕跡、東麓の内住懸尾城や南方の頭巾山城・宝満山城と連携した三郡山地山岳城砦群の縄張構造、山頂から福岡平野・博多湾・筑豊盆地(飯塚方面)・英彦山・三郡山連峰を一望する大パノラマ眺望

🍲 ご当地グルメ

宇美八幡名物子安餅、昭和の森BBQ・ジビエ料理、博多ラーメン、博多もつ鍋、鶏すき(筑前郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(27城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR香椎線宇美駅から西鉄バス(障子岳方面行き)で約15分「障子岳」下車、一本松公園(昭和の森)登山口より砥石山登山道経由で山頂主郭まで登山道徒歩約110分(または昭和の森駐車場より登山)

車でのアクセス

九州自動車道 太宰府ICから国道3号バイパスおよび県道68号経由で東へ車で約25分、または須恵スマートICから南東へ車で約20分

駐車場

有(一本松公園・昭和の森駐車場、有料約200台)

📍 周辺地図

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