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100名城・続100名城 -
別称 竜ヶ城、龍ケ城、大石龍ヶ城、龍ヶ城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 230.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別出城
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者高橋氏
築城年戦国時代
廃城年天正8年(1580年)
主な城主高橋氏、北原氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:230.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

龍ヶ城(竜ヶ城)は、福岡県筑紫野市大字大石の笹尾山(標高355.3メートル)から西へ派生した標高232メートル(比高約130メートル)の尾根頂部に築かれた戦国時代の山城(出城・砦)跡である。『福岡県の中近世城館跡I』や筑紫野市埋蔵文化財包蔵地台帳に登載されている。主郭は一段小高い削平地となっており、周囲に帯曲輪が巡る。西へ延びる尾根筋には連郭式に曲輪が配され、南端が一段低くなっている。主郭から東へ続く尾根は深い堀切で峻厳に遮断され、さらに東側の尾根筋には竪堀や堀切が連続して配されている。主郭周辺や西端側面にも連続竪堀や堀切が多重に残存し、極めて技巧的かつ強固な山岳遮断防衛線を誇る。宝満川上流域の山間平野を見下ろし、大宰府南東部から朝倉・筑前東部へと通じる交通路を扼する要衝に占地する。

⚔️ 歴史的役割

岩屋城主・宝満山城主であった豊後大友氏の有力重臣・高橋紹運の防衛ネットワークを構成する支城・出城として機能した。城主には高橋氏の重臣であった北原鎮久(伊賀守)が配されていた。天正6年(1578年)の耳川の戦いで大友宗麟が大敗を喫すると、筑前諸勢力の間で動揺が広がった。天正8年(1580年)、北原鎮久は大友方からの離反を企て、宿敵である秋月種実(秋月氏)へ内通を図ったが、事前に高橋紹運に露見し、岩屋城において成敗されたと伝えられる。これにより城主を失った龍ヶ城は、秋月氏や筑紫氏に対する前線警備の重要拠点の役目を終え、間もなく廃城になったと推測される。宝満山・岩屋城の防衛網の南東部を固めた緊迫の戦国攻防史を物語る。

👀 見どころ

主郭東尾根を深く断ち切る見事な大堀切および東側尾根に連続する堀切・竪堀群、主郭周囲を取り巻く連続竪堀および西端側面に穿たれた堀切・竪堀遺構、主郭平坦面および周囲の帯曲輪・急峻な切岸加工面、西へ階段状に延びる連郭式の段曲輪群、笹尾山西尾根の標高232m山頂部から大石・本道寺地区および太宰府南東部の山並みを見渡す哨戒拠点ならではの眺望

🍲 ご当地グルメ

二日市温泉名物料理、太宰府名物梅ヶ枝餅、博多ラーメン、筑紫野ご当地スイーツ、鶏すき(筑前郷土料理)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(38城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

西鉄太宰府線太宰府駅から西鉄バスまたは徒歩約45分(約3.5km)、JR鹿児島本線二日市駅から車で約15分、大石・本道寺方面より大石集落奥の水路沿い山道を経て山頂主郭まで登山道徒歩約30分

車でのアクセス

九州自動車道 太宰府ICから県道35号(筑紫野古賀線)経由で南東へ車で約15分、または筑紫野ICから車で約20分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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