コンテンツへスキップ
100名城・続100名城 -
別称 城山、下止々呂美城、止々呂美城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 220.6m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者止々呂美氏
築城年室町時代
廃城年天正年間(1573~1592年)頃
主な城主止々呂美氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:220.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

止々呂美城は、大阪府箕面市下止々呂美の余野川西岸にそびえる標高約308メートル(比高約130メートル)の通称「城山」山頂および尾根筋に築かれた中世山城跡である。摂津国から丹波国へ通じる要衝・丹波街道(現・国道423号)を眼下に扼する峻険な山塊に占地する。山頂の主郭を中心に南北の尾根沿いに細長い連郭状の平坦段(曲輪群)が展開し、尾根を遮断する堀切、斜面を切落とした切岸、主郭縁辺の土塁痕跡、斜面に刻まれた竪堀群などの土木遺構が山林内に良好に遺存している。大阪府の遺跡地図・埋蔵文化財包蔵地台帳に中世山城遺跡として登載されており、北摂山間部における国人領主の典型的な要害構造を現在に伝えている。

⚔️ 歴史的役割

室町時代から戦国期にかけて北摂の山間部を領有した在地領主・止々呂美(等々力)氏代々の居城と伝えられる。止々呂美氏は摂津・丹波境目の街道警備や余野川流域の支配を担い、有力国人である能勢氏や池田氏らと結びつきながら自立を保った。戦国時代後期には三好長慶や織田信長の上洛、荒木村重の北摂支配といった動乱の波に巻き込まれ、信長による荒木村重討伐戦(有岡城の戦い)の前後で周辺の城砦とともに改易・帰農、あるいは廃城になったと推測されている。江戸時代には城主の子孫とされる止々呂美氏が当地の庄屋・郷士として存続した。

👀 見どころ

山頂主郭を取り巻く切岸地形、南北尾根筋を遮断する堀切および竪堀遺構、主郭縁辺に残る土塁状の高まり、丹波街道(現国道423号)と余野川渓谷を見下ろす天然の要害景観、山頂からの北摂山系パノラマ眺望

🍲 ご当地グルメ

もみじの天ぷら、止々呂美の実生ゆず加工品、箕面ビール、猪鍋(ぼたん鍋)、能勢うどん


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(4城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

能勢電鉄妙見線ときわ台駅から阪急バス余野・止々呂美方面行きで約10分「下止々呂美」下車、北西側登山口より山道徒歩約20分(または箕面萱野駅から直行バス利用可)

車でのアクセス

新名神高速道路 箕面とどろみICから国道423号経由で北へ車で約3分、または箕面有料道路(箕面グリーンロード)止々呂美料金所から約3分

駐車場

なし

📍 周辺地図

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

トップへ戻る