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100名城・続100名城 -
別称 粟生間谷城、粟生城、間谷城
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 111.1m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張山城
曲輪配置単郭式
築城者福井氏
築城年室町時代
廃城年戦国時代末期
主な城主福井氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 なし

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:111.1m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

粟生谷城(粟生間谷城)は、大阪府箕面市粟生間谷西七丁目の勝尾寺川東岸、北摂山系から南へ張り出す標高約150メートル前後の丘陵斜面・尾根端部に位置した中世山城(砦・居館)跡である。勝尾寺川が形成する粟生の谷筋および山麓街道を見下ろし、西国街道の北方に広がる箕面東部・茨木北西部の境界地帯を扼する要所に占地していた。かつては丘陵頂部を削平した曲輪や切岸などの土木遺構が存在したとされるが、昭和後期以降の「粟生団地」「間谷住宅」をはじめとする大規模な宅地造成開発により山林・丘陵地形が大きく改変され、地上の城郭遺構は消滅している。大阪府の遺跡地図・埋蔵文化財包蔵地台帳に中世城館遺跡として登載されている。

⚔️ 歴史的役割

室町時代から戦国期にかけて粟生間谷・外院一帯に勢力を持った在地武士・福井氏に関連する支城、または有事の物見砦として築かれたと推測される。西方の善福寺原城(福井氏館)や勝尾寺、東方の豊川・福井地域を結ぶ交通結節点を見張り、谷筋を往来する敵勢力や流通を監視・防衛する軍事拠点として機能した。戦国時代後期には北摂を巡る三好氏・織田信長勢力・荒木村重らの抗争に巻き込まれ、天正6〜7年(1578〜1579年)の有岡城の戦い(荒木村重討伐戦)に伴う中川清秀・高山右近らの進軍・平定作戦の過程で役目を終え、廃城に至ったと考えられる。

👀 見どころ

勝尾寺川上流の谷筋(粟生間谷)を見下ろす丘陵台地の傾斜地形、中世在地領主の動向を今に伝える「粟生」の歴史的集落景観、近接する勝尾寺旧参道沿いの風情

🍲 ご当地グルメ

もみじの天ぷら、箕面実生ゆず加工品、箕面ビール、北摂うどん、丁字屋のゆず羊羹


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(4城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

北大阪急行電鉄・箕面萱野駅から阪急バス粟生団地・間谷住宅方面行き等で約15分「粟生間谷西四丁目」下車、徒歩約10分(または大阪モノレール彩都線彩都西駅から徒歩約25分)

車でのアクセス

新名神高速道路 茨木千提寺ICから府道1号経由で西へ車で約15分、または名神高速道路 茨木ICから約20分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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