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100名城・続100名城 -
別称 高山城跡、高山右近生誕地、城山
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 493.7m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者高山氏
築城年鎌倉時代
廃城年天正13年(1585年)頃
主な城主高山氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:493.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

高山城は、大阪府豊能郡豊能町高山の標高約448メートル(比高約60メートル)の山頂および尾根筋に築かれた中世山城跡である。キリシタン大名として著名な高山右近(友祥・重友)の生誕地として知られる。余野川上流の山間盆地を見下ろす独立丘陵に占地し、南北に細長く展開する主郭・二の丸・三の丸などの連郭式曲輪群で構成される。主郭背後の尾根筋を断ち切る深大な堀切や空堀、各郭切岸、主郭縁辺の土塁、斜面の竪堀状遺構などの土木遺構が山林内に良好に遺存する。主郭跡には「高山右近生誕之地」の石碑が建立され、山麓の集落内には高山右近夫妻像や高山キリシタン墓碑(府指定文化財)が所在するなど、右近ゆかりの史跡群が点在している。

⚔️ 歴史的役割

鎌倉時代から室町時代にかけて、北摂山間部の要衝・高山庄を支配した在地武士・高山氏代々の居城として築かれた。戦国時代には高山図書(ダリオ・友照)が城主を務め、天文21年(1552年)に嫡男である高山右近(ジュスト・重友)がこの城内で誕生したとされる。高山氏は三好長慶や松永久秀に従属し、のちに大和国沢城や摂津高槻城へ拠点を移した。右近が高槻城主となって以降も一族の詰城・連絡拠点として保持されたが、天正13年(1585年)に右近が播磨明石へ転封となった前後に廃城となったと考えられる。信仰を守り抜いた右近のルーツを示す城郭として極めて高い歴史的価値を有する。

👀 見どころ

山頂主郭に建つ「高山右近生誕之地」石碑、曲輪間の尾根を遮断する深大な堀切および空堀遺構、各郭を取り巻く明瞭な切岸と土塁痕跡、山麓に点在する高山右近夫妻像および高山キリシタン墓碑(キリシタン信仰遺跡)、山頂から高山盆地を見渡す眺望

🍲 ご当地グルメ

能勢うどん、猪鍋(ぼたん鍋)、高山ごぼう料理、納豆(能勢・豊能特産)、もみじの天ぷら


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(4城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

北大阪急行電鉄・箕面萱野駅から阪急バス余野・希望ヶ丘方面行きで約30分「高山」下車、徒歩約15分(または能勢電鉄妙見口駅から阪急バスで「高山」下車)

車でのアクセス

新名神高速道路 箕面とどろみICから国道423号および府道4号経由で東へ車で約15分、または名神高速道路 茨木ICから約25分

駐車場

有(高山公民館周辺駐車スペース、無料約5台)

📍 周辺地図

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