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100名城・続100名城 -
別称 麻田陣屋、麻田城
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 24.4m
最終訪問日 2026-09-27

📋 概要スペック

種別陣屋
縄張平城
曲輪配置梯郭式
築城者青木一重
築城年元和元年(1615年)頃
廃城年明治4年(1871年)
主な城主青木氏
指定文化財市町村区指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿あり(元:藩主邸表玄関、先:報恩寺) 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門あり(元:陣屋門、先:上西家住宅等)
遺構 なし

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:24.4m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

麻田藩陣屋は、現在の大阪府豊中市蛍池中町(旧豊島郡麻田村)一帯に築かれた麻田藩青木氏1万2000石(分知後1万石)の藩庁・陣屋である。規模は南北約250メートル、東西約190メートルの鍵形をなし、東・北の2面を水濠が巡る本丸相当の内郭に藩主御殿や会議所・稽古場が配され、周囲の外郭に重臣・藩士の武家屋敷が立ち並んでいた。市街地化により現地に地表面の遺構は残らないが、跡地一角(旧蛍池公民館前・ルシオーレ西側)に「麻田藩陣屋跡」石碑と案内板が立つ。豊中市指定史跡。

⚔️ 歴史的役割

築城者の青木一重は初め徳川家康、のち豊臣秀吉に仕え黄母衣衆となった武将で、大坂の陣前後に家康へ再び臣従して摂津・伊予・備中に所領を得て当地に陣屋を構えた。青木氏は外様大名ながら徳川将軍家の信任篤く、大坂近郊の要衝支配や大坂城普請を担い、減封や転封を受けることなく14代・重義の明治維新に至るまで一貫して麻田の地を治めた。陣屋建造物の一部は解体後に分散移築され、藩主邸表玄関が春日町の報恩寺に、陣屋門(市指定有形文化財)が刀根山元町の上西家住宅等に残る。

👀 見どころ

報恩寺に移築現存する藩主邸表玄関(市指定有形文化財)、上西家住宅の移築陣屋門(市指定有形文化財)、蛍池駅前の麻田藩陣屋跡石碑・案内板

🍲 ご当地グルメ

服部天神の福サブレ、豊中名物マチカネワニ料理、豊中うどん、北摂地酒(呉春等)、庄内ホルモン焼き


デジタル縄張図

おいど攻城記録

麻田藩陣屋跡


麻田陣屋跡


藩主を青木氏とする麻田藩は、石高一万余りの外様大名です。大坂の陣で、商大藩主は豊臣方の武将でしたが、陣後、家康に召され、ここ豊中市蛍池に本拠の陣屋を構えました。以後一貫して統治に存続した、豊中にゆかりの深い耐みょうけです。当時のことを期した絵図によると、陣屋は方形で周囲に濠をめぐらせ、面積五反歩余り(約1500坪)あったといわれています。

内部には大名の居住する御殿のほか、会議所・柔剣道場などがあり、周辺に家臣の邸宅がならんでいました。文久3年(1863)の記録によれば、家臣の数は百十人余りあったものと記されています。
※現地説明版より

麻田藩主邸表玄関


麻田藩陣屋門



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