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100名城・続100名城 -
別称 土井谷城、土肥谷砦、土井谷城跡、小机土井谷砦
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 14.2m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張平山城
曲輪配置単郭式
築城者不明
築城年室町時代
廃城年天正18年(1590年)
主な城主笠原氏、北条氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:14.2m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

土井谷砦(どいやとりで)は、神奈川県横浜市港北区小机町の鶴見川南岸に位置する小机城本城南西側の谷戸「土井谷(土肥谷)」を見下ろす標高約40メートル(比高約25メートル)の丘陵斜面・尾根上に所在したとされる中世城郭(砦・平山城)跡である。続日本100名城に指定されている小机城の西側背後を守る防衛施設・外郭出城のひとつとされ、土井谷と呼ばれる入り組んだ開析谷の奥部を扼する要衝を占地していた。尾根頂部の平坦面を利用して物見や小規模な陣地が造成され、谷戸筋からの敵の侵入を防ぎつつ本城の西側搦手方面を警戒する役割を担ったと推測される。後世の山林化、畑地化および近年の宅地開発によって明確な土塁や空堀などの地上土木遺構は失われているが、小机城の南西背後に迫る急峻な谷戸の切岸状斜面に中世山城外郭の地形的特徴が良好に残る。

⚔️ 歴史的役割

小机城を本城とした扇谷上杉氏あるいは戦国時代に小机領を支配した小田原北条氏(城代・笠原氏)の時代に、本城防御の補助拠点・前哨物見砦として取り立てられたと考えられる。小机城は北側を鶴見川低地、東側を鳥山川低地で守る一方、南西側は多摩丘陵に連なる尾根と谷戸が入り組んだ地形となっており、土井谷砦は背後からの奇襲や搦手口の迂回侵入を防ぐ要所であった。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐に際し、本城である小机城が無血開城・落城したことに伴い、小机城直下の防御網を形成していた出城・砦群とともに役目を終えて廃絶した。小机城の複合的な防衛システムを構成する一要素として重要な軍事史的意義を有する。

👀 見どころ

小机城本城の南西側搦手を扼した土井谷の入り組んだ谷戸地形、尾根筋から谷底へ向かって落ち込む中世山城外郭特有の急峻な切岸状斜面、小机城址市民の森(本丸・二の丸)と尾根続きで連携する防衛ネットワークの空間的距離感、小机城本城や鳥山砦方面を望む前哨物見拠点ならではの地勢環境、谷戸奥にひっそりと残る中世小机郷の原地形景観

🍲 ご当地グルメ

横浜家系ラーメン、サンマーメン、新横浜ラーメン博物館ご当地ラーメン各種、生麦穴子天丼、シュウマイ(崎陽軒)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(18城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR横浜線小机駅南口から徒歩約8分、または小机駅から横浜市営バスで「小机町」下車徒歩約5分(小机城址南西側谷戸奥・小机町土井谷地区周辺、標高約40m、比高約25m)

車でのアクセス

第三京浜道路 港北ICから県道12号および新横浜通り経由で南西へ車で約6分、または首都高速神奈川7号横浜北線 新横浜出入口から車で約8分

駐車場

なし

📍 周辺地図

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