概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
茅ヶ崎城(ちがさきじょう)は、神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎東二丁目の大場川(鶴見川支流・早渕川流域)南岸に突き出た標高約35メートル(比高約20メートル)の舌状丘陵上に所在する中世城郭跡である。横浜市指定史跡。「茅ヶ崎城址公園」として整備保存されている。丘陵頂部に東郭(本丸)、中郭、西郭、北郭などの複数の曲輪群が配され、郭間を分断する大規模な空堀(堀切)や土塁、腰曲輪、土橋、切岸が完存に近い状態で遺存する。港北ニュータウン造成に伴い昭和末期から平成にかけて徹底的な発掘調査が実施され、14世紀末の築城から15世紀後半の上杉・太田道灌期、16世紀の後北条氏による大規模改修に至る3期以上の変遷過程や、掘立柱建物跡、土坑墓、陶磁器片が確認された。
歴史的役割
源頼朝の家人・多田行綱の末裔が拠った伝承を持ち、室町時代中期には扇谷上杉氏および太田道灌が小机城などと対峙・連携する軍事拠点として利用した。戦国時代には小田原北条氏の勢力下に入り、本城である小机城を支える小机衆の最重要外郭支城として抜本的な改修が施された。早渕川水運および武蔵府中と鎌倉・神奈川湊を結ぶ主要古道街道を扼する要衝であり、越後上杉氏や甲斐武田氏の侵攻に備える防衛線を形成した。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐に伴い、小机城の開城とともに廃城となったと推測される。後世の大規模開発を免れ、中世東国城郭の縄張構造を原位置でとどめる極めて貴重な標本遺跡である。
見どころ
本丸(東郭)と中郭を隔てる深さ約4〜5m・幅約8〜10mの壮大な空堀(堀切)および土橋遺構、郭の縁辺部に明瞭に残存する防御土塁の高まり、丘陵斜面を急峻に削り落とした中世平山城ならではの切岸、発掘調査成果に基づいて建物配置や遺構が現地標示された中郭・西郭、公園内に設置された詳細な城郭解説案内板群および横浜市指定史跡石碑、標高35mの郭跡から港北ニュータウン・早渕川流域を見渡す要害景観
ご当地グルメ
横浜家系ラーメン、サンマーメン、都筑野菜(小松菜等)中華料理、センター南・北の欧風スイーツ、ハマぽーく豚肉料理