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100名城・続100名城 -
別称 笠間山城、笠間城、佐間山砦、佐間山城跡
城址碑 なし
案内板 なし
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 19m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別砦
縄張平山城
曲輪配置連郭式
築城者不明
築城年鎌倉時代
廃城年戦国時代
主な城主笠間氏、北条氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:19m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

佐間山城(かさまやまじょう)は、神奈川県横浜市栄区笠間(旧相模国鎌倉郡笠間郷)のいたち川南岸に面した標高約40メートル(比高約25メートル)の孤立丘陵一帯(現・笠間中央公園周辺)に所在したとされる中世山城(砦・平山城)跡である。「笠間山城」とも表記される。大船駅北東側の沖積低地に突き出た丘陵地形に占地し、柏尾川・いたち川の水運および鎌倉街道(中の道・山内道路)を眼下に見下ろす要害であった。笠間中央公園整備に伴う発掘調査等では弥生時代以来の複合集落跡とともに、鎌倉時代から室町・戦国期にかけての掘立柱建物跡や溝状遺構、波板状凹凸遺構を伴う鎌倉古道硬化面が検出されている。都市化および公園・宅地開発により明確な土塁や堀切等の地上土木遺構は失われたが、急峻な切岸状の丘陵縁辺部や谷戸地形に中世前哨拠点の面影をとどめる。

⚔️ 歴史的役割

鎌倉時代から室町時代にかけて当地一帯に勢力を持った在地武士・笠間氏の拠点のひとつ、または鎌倉幕府および関東管領の防衛前哨砦と伝わる。鎌倉の北の玄関口にあたる交通結節点に位置し、大船・山内方面から鎌倉中心部へ通じる主要街道(山内道路)といたち川水運の監視・警備を担った。戦国時代には後北条氏の支配下に入り、玉縄城を守備する外郭支城網(長尾砦、飯島殿谷城、小菅ヶ谷城等)と連携する繋ぎの城・境目砦として機能したと考えられる。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で玉縄城主・北条氏勝が徳川家康に開城・降伏した前後に城砦としての役目を終え、廃絶したと推測される。

👀 見どころ

いたち川と平野部を見下ろす独立丘陵(笠間中央公園周辺)の要害地形、丘陵縁辺部に残存する急傾斜の切岸状段差、発掘調査によって検出された鎌倉街道(山内道路)遺構および中世掘立柱建物群の歴史的痕跡、近隣に鎮座する笠間町民の氏神・青木神社(天正8年の棟札伝承)や古刹・法安寺(笠間山智光院)など中世由来の歴史景観、標高約40mの公園高台から大船観音・柏尾川流域・栄区街並みを見渡す交通監視拠点ならではの展望

🍲 ご当地グルメ

大船軒鯵の押寿し、横浜家系ラーメン、サンマーメン、栄区産採れたて野菜(トマト・キャベツ)料理、ハマぽーく豚肉料理


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(14城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR東海道線・横須賀線・根岸線・湘南モノレール大船駅笠間口から徒歩約15分、または大船駅から神奈川中央交通バスで「笠間十字路」下車徒歩約5分、笠間中央公園・笠間二丁目周辺の独立丘陵一帯(標高約40m、比高約25m)

車でのアクセス

横浜環状南線 栄ICから県道23号経由で南西へ車で約8分、または横浜横須賀道路 日野ICから車で約15分

駐車場

有(笠間中央公園有料駐車場利用、約10台、または近隣コインパーキング利用)

📍 周辺地図

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