概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 独立式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
佐倉城(さくらじょう)は、千葉県佐倉市城内町に所在する印旛沼に臨む舌状台地(標高約30メートル、比高約25メートル)の突端に築かれた近世平山城跡である。「鹿島城」とも称され、佐倉市指定史跡、日本100名城に選定。中世に下総守護・千葉氏が築いた鹿島幹城を起源とし、徳川家康の命を受けた老中・土井利勝が慶長15年から7年の歳月をかけて近世城郭へと大改修した。石垣を一切用いず、関東ローム層の粘土質を巧みに掘削・成形した大規模な空堀、水堀、巨大土塁で構成される東国屈指の土の城である。本丸を中心に二の丸、三の丸、出丸が連郭・梯郭状に連なり、本丸には四重の天守代用櫓(御三階櫓)がそびえていた。明治以降は陸軍歩兵第二連隊(のち歩兵第五十七連隊)が駐屯したため改変を受けたが、空堀や土塁の残存度は極めて高く、現在は佐倉城址公園として整備され、広大な城域内には国立歴史民俗博物館が立地する。
歴史的役割
江戸の北東(鬼門)を扼する防衛ラインの要衝であり、利根川水系と印旛沼の水運を抑える軍事・流通の拠点として築かれた。初代藩主となった土井利勝をはじめ、石川家成、酒井忠勝、堀田正盛・正睦、稲葉正往、大久保忠朝など幕閣の重鎮(老中・大老)を歴任した名門譜代大名が歴代城主を務めたことから「老中の城」と称される。幕末には蘭学を奨励し日米修好通商条約の締結に尽力した開明派老中首座・堀田正睦の居城として知られ、藩校・成徳書院の開設や西洋医学の導入(順天堂)など先進的な文化・学問の中心地となった。明治初年の廃城令により天守代用櫓や門・土塀などすべての建造物が解体・撤去された後、大日本帝国陸軍の駐屯地が置かれ兵営として利用された。近代軍事基地としての遺構(兵士の油落とし風呂、弾薬庫跡、兵舎礎石等)も城郭遺構と重層的に共存し、中世・近世・近代の歴史が重なる貴重な史跡となっている。
見どころ
石垣を一切用いず関東ローム層を削り出して築かれた深さ10m超・幅十数mに及ぶ豪快な「大空堀」および巨大土塁群、四重の天守代用櫓がそびえ立ち富士山や印旛沼を遠望した「天守台跡(御三階櫓跡)」、角馬出・丸馬出の構造を明瞭に留める出丸跡および水堀遺構、城郭の北側を囲む印旛沼低地の天然の泥湿地・水濠景観、歩兵第五十七連隊(佐倉連隊)当時の営門跡・油落とし風呂・弾薬庫等の近代軍事遺構群、城郭敷地内に立地する日本最高峰の歴史研究展示施設「国立歴史民俗博物館(歴博)」、四季の桜や紅葉に包まれる佐倉城址公園、市指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
佐倉丼(大和芋とろろ・豚肉丼)、佐倉名物うなぎ料理(川魚料理)、佐倉みそ料理・佐倉豚の角煮、草餅・お茶菓子(蔵六餅)、落花生スイーツ(ピーナッツ菓子)
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。