概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 独立式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(御金櫓、山里櫓、鉄御門東多聞櫓/木造外観復元、模擬天守RC造) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(鉄御門木造忠実復元) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | あり(鉄御門多聞土塀等木造復元) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
今治城(いまばりじょう)は、愛媛県今治市通町三丁目に所在する瀬戸内海に面した海岸平野に築かれた近世海城(日本三大水城の一つ)跡である。「吹揚城」とも称され、愛媛県指定史跡、日本100名城に選定。築城の名手・藤堂高虎が関ヶ原合戦後の慶長7年に着工し、最新の城郭技術を投入して完成させた。本丸を中心に二の丸、山里丸を海水を引き込んだ幅50〜70メートルに達する広大な水堀で囲み、さらに外郭と外堀を同心円状に巡らせた輪郭式水城である。城内水堀は瀬戸内海の海水と直接通じており、干満により水位が上下しボラやチヌ(黒鯛)が泳ぐ。高虎が創始したとされる方形の天守台に建てられた層塔型天守の祖型としても知られる。昭和55年に五重六階の模擬天守が再建され、平成期には伝統木造工法による御金櫓・山里櫓・鉄御門(くろがねごもん)の本格復元が相次いで完了し、近世屈指の水軍要塞の姿を取り戻している。
歴史的役割
伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、中世以来の山城であった国府城(唐子山城)を廃し、瀬戸内海航路と水軍の掌握、および近代的な城下町形成を目的に海浜の「吹揚の浜」に築いた。城内には軍船を直接引き入れる船入(軍港)が整備され、水陸両面の交通ネットワークを完全に統制した。慶長13年(1608年)の高虎の伊勢・伊賀転封に伴い、天守は丹波亀山城へ移築されたと伝わる。寛永12年(1635年)には伊予松山藩より松平(久松)定房が3万石(のち3万5千石)で入封し、以後明治維新まで今治松平家8代の居城として親藩による四国支配の一翼を担った。明治維新の廃城令により建造物の大部分が破却または売却され、内堀と石垣を残すのみとなったが、昭和から平成にかけての大規模な復元整備事業により、水城としての類いまれな景観が再生された。
見どころ
日本三大水城の筆頭に挙げられ海水が満々と湛えられ海の魚が泳ぐ幅広な「海水水堀(内堀)」および石垣景観、発掘調査と絵図・古写真に基づき伝統木造工法で忠実に復元された桝形虎口「鉄御門(くろがねごもん)」および武具櫓・東多聞櫓、木造復元された「御金櫓」および「山里櫓(美術館・展示室)」、慶長様式の野面積み・打込接ぎで築かれ水堀から直立する豪壮な「高石垣群」、本丸中央に勇姿を見せる「藤堂高虎公騎馬銅像」、五重六階の威容を誇り最上階からしまなみ海道や来島海峡・今治市街を一望する「天守(復興天守・歴史資料館)」、天守台脇に鎮座する吹揚神社、愛媛県指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
今治焼豚玉子飯(B級ご当地グルメ・甘辛タレと目玉焼き)、今治焼き鳥(鉄板でカリッと押し焼きする皮焼き)、来島海峡天然鯛料理(鯛めし・鯛の兜煮)、せんざんき(今治名物鶏の唐揚げ)、今治タオル・八幡饅頭
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。