概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
竹田城は、円山川沿いにそびえる標高353.7メートルの古城山(虎臥山)山頂尾根に築かれた織豊系近世山城である。南北約400メートル、東西約100メートルに及ぶ山頂尾根を削平し、本丸・天守台を中心に南千畳・北千畳・花屋敷・平殿などの曲輪群を連郭状に配する。城域全域にわたり野面積みによる長大な総石垣遺構がほぼ完全な状態で残存しており、晩秋の早朝に発生する濃霧によって雲海に浮かび上がる景観から「天空の城」「日本のマチュピチュ」と称される。国の史跡に指定されている。
歴史的役割
室町時代中期の嘉吉年間に但馬守護・山名宗全(持豊)が播磨・丹波に対する境目の城として家臣の太田垣光景に命じ築城させたと伝わる。以後、太田垣氏が代々城主を務めたが、天正5年(1577年)および天正8年(1580年)の織田信長の命による羽柴秀吉の但馬平定軍の侵攻を受けて落城した。その後、秀吉配下の桑山重晴を経て赤松広秀(広通)が入城し、豪壮な総石垣の近世山城へと大改修された。しかし慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属した赤松広秀が鳥取城攻防戦後に切腹を命じられたため廃城となった。
見どころ
本丸天守台および南北千畳を連ねる長大な野面積み総石垣、枡形虎口群、立雲峡から望む雲海に浮かぶ天空の城の景観、花屋敷・平殿の曲輪群
ご当地グルメ
但馬牛料理(ステーキ・牛丼)、岩津ねぎ料理、黒毛和牛すき焼き、出石皿そば、朝来みどり(緑茶スイーツ)
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。