概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 複合式 | 天守形式 | 望楼型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | あり(二重櫓/国指定重要文化財) | 再建櫓 | あり(六の平櫓、五の平櫓、腕木御門等木造復元) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(本丸南御門、本丸東御門等木造復元) |
| 現存土塀 | あり(三の平櫓東土塀等現存/国指定重要文化財) | 再建土塀 | あり(本丸東土塀・南土塀等木造復元) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)は、岡山県高梁市内山下に所在する高梁川東岸にそびえる臥牛山系小松山(標高約430メートル、比高約350メートル)山頂に築かれた近世山城跡である。現存天守を持つ山城としては日本最高所(標高430m)に位置し、国の重要文化財(天守・二重櫓・土塀)、国指定史跡、日本100名城に選定。仁治元年に秋庭重信が臥牛山大松山に砦を築いたことに始まり、天和3年に水谷勝宗が3年をかけて現在の壮大な縄張へと大改修した。標高400mを超える高嶺の自然の巨大岩壁(チャート)の上に、打込接ぎ・野面積みの高石垣を巧みに組み上げ、二層二階の現存木造天守や二重櫓を構える。秋から冬の早朝には城郭周囲に濃い朝霧が立ち込め、雲海に浮かぶ「天空の城」として全国的な知名度を誇る。近年は本丸南御門や腕木御門、土塀群の木造復元が進められ、山城の威容が鮮やかに再現されている。
歴史的役割
備中中央の南北交通路と高梁川水運を俯瞰する軍事的最要衝であり、戦国期には三村氏、庄氏、尼子氏、毛利氏による争奪戦の舞台となった。天正3年(1575年)の「備中兵乱」では織田信長に通じた三村元親が毛利軍に包囲され激闘の末に自刃・落城した。関ヶ原合戦後は幕府直轄領となり、小堀遠州(政一)が城番として入城し城下町整備や松山城修復を担当。その後、池田氏を経て寛永19年(1642年)に水谷勝隆が入封、二代勝宗の手により近世山城として完成をみた。水谷氏断絶時には赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が城受け取りを担当し、筆頭家老・大石内蔵助良雄が城代として約1年半在番した歴史も残る。元禄以降は丹波亀山より板倉重治が5万石で入封し、以後明治維新まで板倉氏8代の居城となった。幕末には藩政改革の大家・山田方谷を輩出し、激動の戊辰戦争を無血開城で乗り切った。
見どころ
現存十二天守の中で唯一の山城天守であり標高430mの山頂にそびえる国指定重要文化財「二層二階現存天守」(装飾的な唐破風・落とし格子・囲炉裏跡)、天然の巨大岩盤の上に独立して立ち並ぶ国重要文化財「二重櫓」および「現存三の平櫓東土塀」、大手門跡周辺にそびえ立ち岩壁と人工石垣が一体化した圧巻の「天然巨岩断崖・高石垣群」、平成期に古写真や発掘成果に基づき木造復元された「本丸南御門」「本丸東御門」および復元土塀群、雲海展望台から望む幻想的な雲海に浮かぶ城郭景観(天空の城)、秋庭重信・三村氏時代の遺構が残る大松山・天神の丸の中世城郭遺構群、猫城主として親しまれる「さんじゅーろー」、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
備中高梁インディアントマト焼そば、高梁名物鮎料理(高梁川天然鮎塩焼き・うるか)、山菜・松茸料理、備中蕎麦、ゆべし(高梁銘菓・柚子風味の餅菓子)
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。