概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
月山富田城(がっさんとだじょう)は、島根県安来市広瀬町富田に所在する飯梨川左岸にそびえる月山(標高約190メートル、比高約160メートル)全域に築かれた中世屈指の巨大山城跡である。「富田城」とも称され、国の史跡、日本100名城に選定。鎌倉初期に佐々木義清が築いたと伝わり、戦国時代には山陰・山陽十一州を席巻した戦国大名・尼子氏の本拠として難攻不落を誇った。月山山頂の本丸・二の丸・三の丸(主郭部)をはじめ、中腹の花ノ壇、山中御殿、千畳敷、さらに周囲の尾根筋を扼する十景坊などの無数の支郭群で構成される壮大な複郭・連郭式縄張を持つ。山中御殿平庭跡などの発掘調査では石組暗渠排水路や礎石建物群、陶磁器が多数検出され、政治・生活拠点としての機能が解明された。山頂本丸に連なる「七曲り」の険路や豪壮な石垣群、広大な切岸・堀切が極めて良好に現存する。
歴史的役割
戦国期の中国地方における覇権抗争の主舞台であり、尼子経久の智謀によって一大王国の中枢となった。天文12年(1543年)の大内義隆による遠征軍の猛攻を退け、その堅牢さを天下に知らしめた。永禄5年(1562年)からは安芸の毛利元就による兵糧攻め(第二次月山富田城の戦い)を受け、永禄9年(1566年)に城主・尼子義久が降伏。落城後、尼子氏再興を期す山中幸盛(鹿介)らが幾度も奪還作戦を展開したが果たせなかった。毛利氏の領有期には吉川元春らが城代として治め、関ヶ原合戦後に堀尾吉晴・忠氏が24万石で入封。しかし山間狭隘な山城は近世城下町経営に適さず、慶長16年(1611年)に宍道湖畔の松江城へ本拠を移転したことで廃城となった。「願わくは我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に誓った山中鹿介の忠節の舞台として後世まで名高い。
見どころ
山頂主郭部へ至る屈折した急勾配の要害登城路「七曲り」、広大な平坦面に礎石建物跡や石組排水溝が整然と露出展示される政庁跡「山中御殿平庭跡」、戦国期・織豊期の改修痕跡を残す山頂本丸・二の丸・三の丸の「野面積み高石垣群」、花ノ壇の復元礎石・門跡、尼子三代および山中鹿介を顕彰する「山中鹿介幸盛銅像」と祈念碑、月山頂上(標高190m)の本丸勝日高守神社境内から望む能義平野・島根半島・中海の大パノラマ、城郭周囲の尾根を分断する豪快な「堀切」および切岸遺構群、山麓に立地し出土遺物やCG再現を展示する「安来市立歴史資料館」、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
広瀬名物そば(割子そば・鴨南蛮そば)、どじょう料理(どじょう鍋・唐揚げ・柳川鍋)、安来名物清水羊羹、しまね和牛料理(すき焼き・ステーキ)、富田城太鼓(地元の銘菓煎餅)
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。