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100名城・続100名城 65番
別称 富田城、月山城、月山富田城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 188.6m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・複郭式複合
築城者佐々木義清
築城年仁治年間(1240〜1243年頃)
廃城年慶長16年(1611年)
主な城主佐々木氏、塩冶氏、山名氏、尼子氏、毛利氏、吉川氏、堀尾氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:188.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

月山富田城(がっさんとだじょう)は、島根県安来市広瀬町富田に所在する飯梨川左岸にそびえる月山(標高約190メートル、比高約160メートル)全域に築かれた中世屈指の巨大山城跡である。「富田城」とも称され、国の史跡、日本100名城に選定。鎌倉初期に佐々木義清が築いたと伝わり、戦国時代には山陰・山陽十一州を席巻した戦国大名・尼子氏の本拠として難攻不落を誇った。月山山頂の本丸・二の丸・三の丸(主郭部)をはじめ、中腹の花ノ壇、山中御殿、千畳敷、さらに周囲の尾根筋を扼する十景坊などの無数の支郭群で構成される壮大な複郭・連郭式縄張を持つ。山中御殿平庭跡などの発掘調査では石組暗渠排水路や礎石建物群、陶磁器が多数検出され、政治・生活拠点としての機能が解明された。山頂本丸に連なる「七曲り」の険路や豪壮な石垣群、広大な切岸・堀切が極めて良好に現存する。

⚔️ 歴史的役割

戦国期の中国地方における覇権抗争の主舞台であり、尼子経久の智謀によって一大王国の中枢となった。天文12年(1543年)の大内義隆による遠征軍の猛攻を退け、その堅牢さを天下に知らしめた。永禄5年(1562年)からは安芸の毛利元就による兵糧攻め(第二次月山富田城の戦い)を受け、永禄9年(1566年)に城主・尼子義久が降伏。落城後、尼子氏再興を期す山中幸盛(鹿介)らが幾度も奪還作戦を展開したが果たせなかった。毛利氏の領有期には吉川元春らが城代として治め、関ヶ原合戦後に堀尾吉晴・忠氏が24万石で入封。しかし山間狭隘な山城は近世城下町経営に適さず、慶長16年(1611年)に宍道湖畔の松江城へ本拠を移転したことで廃城となった。「願わくは我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に誓った山中鹿介の忠節の舞台として後世まで名高い。

👀 見どころ

山頂主郭部へ至る屈折した急勾配の要害登城路「七曲り」、広大な平坦面に礎石建物跡や石組排水溝が整然と露出展示される政庁跡「山中御殿平庭跡」、戦国期・織豊期の改修痕跡を残す山頂本丸・二の丸・三の丸の「野面積み高石垣群」、花ノ壇の復元礎石・門跡、尼子三代および山中鹿介を顕彰する「山中鹿介幸盛銅像」と祈念碑、月山頂上(標高190m)の本丸勝日高守神社境内から望む能義平野・島根半島・中海の大パノラマ、城郭周囲の尾根を分断する豪快な「堀切」および切岸遺構群、山麓に立地し出土遺物やCG再現を展示する「安来市立歴史資料館」、国指定史跡碑・案内板

🍲 ご当地グルメ

広瀬名物そば(割子そば・鴨南蛮そば)、どじょう料理(どじょう鍋・唐揚げ・柳川鍋)、安来名物清水羊羹、しまね和牛料理(すき焼き・ステーキ)、富田城太鼓(地元の銘菓煎餅)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR山陰本線安来駅から広瀬バスターミナル行きイエローバスで約30分「市立病院前」下車徒歩約15分(安来市広瀬町富田・月山山頂一帯、本丸:標高約190m、比高約160m)

車でのアクセス

山陰自動車道 安来ICから県道45号経由で南西へ車で約20分、または米子西ICから約30分

駐車場

有(安来市立歴史資料館前駐車場・道の駅広瀬富田城駐車場、無料約100台)

📍 周辺地図

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