概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 複合式 | 天守形式 | 望楼型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(模擬天守/三層四階RC造復興天守) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:山麓藩邸長屋門伝承、先:市内吉川邸長屋門等) |
| 遺構 | 水堀あり・空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
岩国城(いわくにじょう)は、山口県岩国市横山三丁目に所在する錦川が蛇行して天然の外堀を形成する横山(標高約200メートル、比高約180メートル)山頂および山麓に築かれた近世山水城跡である。「横山城」とも称され、日本100名城に選定。関ヶ原合戦後に周防出羽から岩国領6万石(のち6万石表高)に入封した吉川広家が慶長6年から8年をかけて完成させた。蛇行する錦川を天然の堀とし、山頂に本丸、二の丸、北の丸を尾根沿いに配した詰城を設け、山麓に御土居(政庁・居館屋敷)を置いた典型的な山麓居館・山頂詰城分離構造を持つ。天守は下層より上層を張り出させた珍しい「南蛮造り(唐造り)」様式で建てられた。現在の天守は昭和37年(1962年)に錦帯橋からの景観を考慮して旧天守台から南東へ約30メートル移動した位置に外観復元されたものであり、旧天守台には発掘調査で復元された豪壮な野面積み石垣が遺存する。
歴史的役割
毛利宗家の防長移封に伴い、毛利氏の重臣・吉川広家が周防東部の防衛と領国統治の本拠として築いた。広家は関ヶ原の戦いにおいて徳川家康と内通し毛利本家の存続に尽力したが、結果として毛利家が減封されたため、岩国の地に新たな領地を切り拓くこととなった。しかし、慶長13年の完成からわずか7年後の元和元年(1615年)、江戸幕府の一国一城令が発令されると、周防国における唯一の城郭として萩城を優先する毛利本家の政治的配慮により、完成後間もない岩国城山頂部は破却を余儀なくされた。以後は山麓の「御土居」が陣屋・政庁として明治維新まで機能し、吉川氏歴代が治めた。錦川に架けられた日本三名橋の一つ「錦帯橋」は、山麓居館と対岸の城下町を結ぶ構造物として第3代領主・吉川広嘉によって創建されたものであり、城郭都市計画と一体の歴史的意義を有する。
見どころ
下層よりも上層の床面を張り出させた特異な南蛮造り(唐造り)を再現した「復興天守」(天守内刀剣展示・最上階から錦帯橋や岩国市街・瀬戸内海・前羽島を望むパノラマ展望)、破却後に埋め戻されていたが平成の発掘調査で露出・修復された豪壮な「旧天守台石垣(野面積み)」、本丸と二の丸・北の丸を区画する深い空堀・堀切および釣井(大井戸)遺構、山麓の居館跡(現・吉香公園)に残る御土居の水堀・土塁・旧目加田家住宅(国指定重要文化財武家屋敷)、錦川に架かる木造五連アーチの名橋「錦帯橋(国指定名勝)」、吉香神社・錦雲閣・吉川家墓所、山麓と山頂を約3分で結ぶ岩国城ロープウエー、日本100名城碑・案内板
ご当地グルメ
岩国寿司(押し寿司・角ずし・錦糸卵や魚の具材)、大平(レンコン・里芋・鶏肉の汁物郷土料理)、岩国れんこん料理(挟み揚げ・きんぴら)、岩国鮎料理(錦川天然鮎塩焼き・うるか)、地酒(獺祭・五橋・雁木)
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。