概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
郡山城(こおりやまじょう)は、広島県安芸高田市吉田町山部・吉田に所在する可愛川(江の川)と多治比川の合流点北側にそびえる郡山(標高約390メートル、比高約190メートル)全山に築かれた戦国期西国屈指の超巨大山城跡である。「吉田郡山城」とも称され、国の史跡、日本100名城に選定。南北朝期に毛利時親が本城の小規模な砦を築いたことに始まり、戦国大名・毛利元就が本城から尾根伝いに城域を拡張し、全山に約270箇所もの曲輪群を張り巡らせる難攻不落の一大要塞へと発展させた。山頂の本丸・二の丸・三の丸を中心に、御蔵屋敷、勢溜の壇、姫丸、満願寺丸、釣井の壇などが連郭・群郭状に広がる。山頂部や主要曲輪には織豊期の改修痕跡を示す野面積み石垣や裏込石が良好に残るほか、巨大な堀切、土塁、切岸、水の手(釣井)が山全域にわたり極めて高い密度で遺存している。
歴史的役割
安芸の一国人領主であった毛利氏が中国地方八ヶ国(約120万石)を領有する大大名へと飛躍する過程を象徴する本拠である。天文9年(1540年)から翌年にかけての「吉田郡山城の戦い」では、出雲から侵攻した尼子詮久(晴久)率いる三万の大軍に対し、元就は三千の手勢で籠城。巧みなゲリラ戦と大内義隆の援軍(陶隆房)を得て尼子軍を壊滅させ、毛利氏躍進の契機となった。元就は郡山城を拠点に大内氏・尼子氏を滅ぼして中国地方の覇権を確立。孫の輝元の代に至るまで毛利氏歴代の政庁・軍事指令所として機能した。天正19年(1591年)に輝元が水陸交通の利便性に富む広島城へ本拠を移転したことで主城としての役目を終え、慶長5年の関ヶ原合戦後に毛利氏が防長二ヶ国へ減封されたことに伴い廃城となり破却された。
見どころ
郡山全山に約270基もの曲輪が蜂の巣状に展開する西国最大級の中世山城縄張スケール、織豊期に増改築された山頂本丸・二の丸・三の丸に残る「野面積み石垣」および裏込石遺構、籠城戦を支えた本丸直下の巨大な石組井戸「釣井の壇(水の手)」、尼子三万の猛攻を耐え抜いた激戦の舞台である本丸・御蔵屋敷・勢溜の壇、山麓に静かに佇む「毛利元就墓所(国指定史跡)」および毛利一族の墓・百万一心碑、山頂から吉田盆地・江の川流域・周囲の陣城群(青山城・光井山城等)を見渡す大パノラマ、発掘出土品や城郭模型を展示する山麓の「安芸高田市歴史民俗博物館」、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
美仏そば(安芸高田の手打ちそば・鮎天ぷらそば)、夜叉うどん(安芸高田ご当地ピリ辛うどん)、広島熟成鶏料理・地鶏炭火焼き、ジビエ料理(鹿肉・猪肉丼)、高宮名物川魚料理(鮎の塩焼き・うるか)
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。