概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 独立式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | あり(二の丸御殿/国宝、本丸御殿/国指定重要文化財) | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | あり(東南隅櫓、西南隅櫓/国指定重要文化財) | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | あり(北大手門米蔵、南中仕切門北米蔵等/国指定重要文化財) | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | あり(東大手門、北大手門、西門、唐門、鳴子門、桃山門等/国指定重要文化財) | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | あり(東大手門北東折曲り土塀等現存/国指定重要文化財) | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | あり(元:桂宮御殿、先:本丸御殿として移築現存/国指定重要文化財) | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
二条城(にじょうじょう)は、京都府京都市中京区二条城町に所在する京都盆地中央の平坦地に築かれた徳川幕府の近世平城跡である。「元離宮二条城」とも称され、ユネスコ世界文化遺産(古都京都の文化財)、国宝(二の丸御殿)、国指定特別史跡、日本100名城に選定。慶長8年に徳川家康が上洛時の宿館として築城し、寛永3年に三代将軍・徳川家光が後水尾天皇行幸を迎えるため大規模に拡張・改修した。本丸を内堀が囲み、その外周を二の丸および外堀が同心円状に包囲する堅固な輪郭式平城である。城内には武家風書院造の最高峰として名高い国宝「二の丸御殿(遠侍・車寄・大広間・蘇鉄之間・黒書院・白書院)」が完存し、極彩色の彫刻が施された唐門や豪壮な二重櫓群、内堀・外堀の整然とした切込接ぎ石垣が往時の威容を誇る。また旧桂宮御殿を移築した「本丸御殿」(重文)も現存し、武家と公家の御殿建築が同一城郭内に揃い踏みする日本唯一の遺構密度を誇る。
歴史的役割
慶長8年に家康が征夷大将軍拝賀の祝宴を催し、慶長16年(1611年)には豊臣秀頼との歴史的な二条城会見の舞台となった。寛永3年の寛永行幸では伏見城から五重天守が移築され幕府の権威を天下に誇示したが、天明の大火等で天守は焼失した。幕末の文久3年(1863年)に14代将軍・徳川家茂が230年ぶりに上洛して城に入り、慶応3年(1867年)10月14日には15代将軍・徳川慶喜が二の丸御殿大広間にて「大政奉還」を表明、約260年にわたる武家政治に終止符を打った。明治維新後は太政官府、京都府庁、陸軍省管轄を経て皇室の「二条離宮」となり、昭和14年(1939年)に京都市へ下賜され一般公開された。幕府の始まりと終焉の双方を象徴する日本史上極めて重要な政治的転換点となった城郭である。
見どころ
武家風書院造の最高峰であり狩野派の障壁画・鴬張りの廊下・大政奉還表明の場を今に伝える「現存国宝二の丸御殿」、極彩色彫刻と豪壮な屋根構造を誇る国重文「唐門」、宮家御殿建築の遺構として本丸に現存移築された国重文「本丸御殿(旧桂宮御殿)」、寛永五重天守の威容を伝える本丸南西隅の壮大な「天守台石垣」および本丸内堀・石橋景観、江戸期より現存する二基の隅櫓「東南隅櫓」「西南隅櫓」および堂々たる「東大手門」「北大手門」、小堀遠州作庭による特別名勝「二の丸庭園」および清流園、天下普請の切込接ぎ・打込接ぎが整然と連なる高石垣群と満々と水を湛える「外堀・内堀」、国特別史跡碑・世界遺産碑・案内板
ご当地グルメ
京都御室そば・京うどん、湯豆腐・湯葉料理(生ゆば懐石)、京漬物(千枚漬・すぐき)、八ツ橋スイーツ・抹茶パフェ、京会席・精進料理
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。