概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 独立式 | 天守形式 | 望楼型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | あり(物見櫓/藩邸現存・県指定文化財、馬場先櫓/藩邸現存・県指定文化財) | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:中荒門伝承、先:嘉楽園表門/町指定文化財) |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
津和野城(つわのじょう)は、島根県鹿足郡津和野町後田に所在する津和野盆地西岸の急峻な独立山・霊亀山(城山、標高約367メートル、比高約200メートル)山頂に築かれた近世山城跡である。「三本松城」とも称され、国指定史跡、日本100名城に選定。鎌倉時代末期に吉見頼興が築城して以来、吉見氏14代の本拠となった中世山城を起源とする。関ヶ原合戦後に3万石で入封した坂崎直盛(出羽守)が、山頂部の尾根を大規模に削平・拡張し総石垣の近世山城へと大改修した。山頂の南北に連なる細長い尾根に天守台、本丸、三十間台、太鼓丸、織部丸、出丸などを連郭状に配置。織豊期から江戸初期の石工技術を示す見事な野面積み・打込接ぎの高石垣群が山上に整然と残る。山麓の藩邸跡には江戸末期の物見櫓や馬場先櫓が現存し、山頂の豪壮な要塞と山麓の政庁空間が対をなす貴重な構造を留める。
歴史的役割
鎌倉幕府御家人として入部した吉見氏が中世を通じて領有し、戦国期には大内氏・毛利氏に属した。天文23年(1554年)の「三本松城の戦い」では、陶晴賢の大軍に攻められるも吉見正頼が数ヶ月に及ぶ激しい籠城戦で撃退し堅城の名を轟かせた。関ヶ原合戦後、西軍に与した吉見氏が長州へ移ると、徳川家康の信任厚い坂崎直盛が入封。直盛は大坂夏の陣における千姫救出で名を馳せるも、元和2年(1616年)の千姫事件(再嫁阻止未遂)で自害・改易となった。元和3年(1617年)に因幡鹿野から亀井政矩が4万3千石で入封し、以後明治維新まで亀井氏11代の居城として石見西部の統治拠点となった。寛永年間の落雷火災で山頂天守が焼失した後は山麓の御殿(居館)を中心に藩政が執られ、山頂は非常時の詰城として維持された。明治維新で建造物の大半が破却されたが、山上の高石垣群は完存している。
見どころ
霊亀山頂の南北約500mにわたり連なり「天空の城」の偉容を誇る天守台・本丸・人質丸の雄大な「野面積み高石垣群」、城内最高所に位置し石垣が完全残存する「三十間台(標高367m)」からの津和野城下町・太皷谷稲成神社・雲海の大パノラマ、山麓の旧藩邸跡に現存する島根県指定文化財「物見櫓」および「馬場先櫓」、城下に現存移築された町指定文化財「中荒門(嘉楽園表門)」、尾根筋を断ち切る堀切や切岸・太鼓丸石垣、山麓から中腹まで手軽にアクセスできる津和野城跡観光リフトと千本鳥居が連なる太皷谷稲成神社参道、殿町通りに白壁土塀と掘割の錦鯉が泳ぐ風情ある城下町景観、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
津和野名物うずめ飯(ご飯の下に具材を埋めた郷土料理)、源氏巻(こし餡をカステラ生地で巻いた伝統銘菓)、津和野鮎料理(高津川天然鮎の塩焼き)、つわの栗スイーツ・栗おこわ、割子そば(石見そば)
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。