概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 複合式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | あり(狸櫓、北虎口門脇多聞櫓) | 再建櫓 | あり(乾櫓、地蔵坂櫓、見奏櫓、懐柔櫓復元) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | あり(北虎口門) | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | あり | 再建土塀 | あり |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
平戸城は平戸海峡(黒瀬戸)に突き出た標高約50メートルの平戸島北東端の丘陵(亀岡)に築かれた海城(平山水城)である。三方を海に囲まれた天然の要害で、山頂の本丸を中心に二の丸、三の丸を階段状に配する。江戸中期に兵学者・山鹿素行の軍学理論(山鹿流軍学)に基づいて設計・再築された唯一の城郭として名高い。明治初期の廃城令で多くの建造物が解体されたが、現存遺構として北虎口門(市指定有形文化財)や狸櫓、本丸の壮大な石垣群が残る。昭和37年に模擬天守(三層五階)および乾櫓・地蔵坂櫓・見奏櫓・懐柔櫓が外観復元された。
歴史的役割
慶長4年(1599年)に松浦鎮信(法印)が日之岳城を築城したが、徳川家康への恭順の意を示すため慶長18年(1613年)に自ら放火・破却し、平時の居館(御館)で政務を執った。その後、元禄15年(1702年)に4代藩主・松浦棟が幕府に再築を申請・許可され、山鹿素行の指導を受けた山鹿流縄張によって宝永4年(1707年)に完成した。平戸藩6万1700石の政庁であり、対外貿易の窓口として栄えた平戸港や平戸海峡の海上交通を監視・防備する軍事拠点として幕末まで機能した。
見どころ
現存の北虎口門および多聞櫓、現存狸櫓(伝承あり)、山鹿流軍学に基づき築かれた本丸・二の丸の石垣群、三方を海に囲まれた天守からの平戸海峡の眺望
ご当地グルメ
平戸牛料理(ステーキ・焼肉)、平戸ちゃんぽん、カスドース、ウチワエビ料理、ごんあじ・ひらめ料理
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。