概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
七尾城(ななおじょう)は、石川県七尾市古城町に所在する能登半島基部の七尾山(標高約300メートル、比高約220メートル)の尾根筋および支谷に築かれた戦国期日本屈指の超巨大山城跡である。「松尾城」とも称され、国の史跡、日本100名城に選定。能登守護・畠山満慶が室町前期に築城して以来、畠山氏五代・約170年間にわたる本拠となった。松尾山頂の本丸を中心に二の丸、三の丸、安徳丸、温井屋敷、遊佐屋敷などの重臣屋敷群が連なり、尾根筋全域に無数の曲輪が展開する連郭・階郭式の壮大な縄張を誇る。「七尾」の名は七つの尾根(松尾、竹尾、梅尾、鶴尾、亀尾、龍尾、虎尾)に由来する。特に本丸下段にそびえる五段の野面積み高石垣は東日本の中世山城としては極めて稀少かつ壮大な遺構であり、山城遺構の残存状態も極めて良好である。
歴史的役割
守護大名・能登畠山氏の全盛期には、京風の雅な文化が花開いた「能登畠山文化」の拠点として栄えた。しかし戦国末期には重臣たちの権力闘争(能登天文の内乱等)が激化し領内が動揺。天正4年(1576年)から天正5年(1577年)にかけて、越後の上杉謙信による激しい侵攻(七尾城の戦い)を受けた。城将・長続連らが領民ごと籠城して頑強に防戦するも、城内で疫病(城中疫病)が蔓延し幼君・畠山春王丸も病死。さらに重臣・遊佐続光らの裏切りによって落城し、名門畠山氏は滅亡した。謙信が本丸から七尾湾と月を眺めて詠んだ名詩「霜満軍営秋気清」は名高い。謙信没後は織田信長の領有となり前田利家が入封したが、天正17年に港湾平野部の小丸山城へ拠点を移転したため廃城となった。
見どころ
本丸東面・南面にそびえ立ち中世山城の到達点を示す大迫力の「五段の野面積み高石垣」、上杉謙信が名詩「九月十三夜陣中の作」を詠んだ舞台であり七尾湾や能登島を一望する「本丸跡」からの絶景パノラマ、二の丸・三の丸・安徳丸・調練場などの広大な曲輪群および重臣屋敷跡(温井屋敷・遊佐屋敷)の遺構、曲輪間を強固に遮断する深い「堀切」や切岸・土塁遺構群、山麓に立地し七尾城の模型や出土遺物を展示する「七尾城史資料館(懐古館)」、城山登城道(大手道)に沿って点在する番所跡や井戸跡(本丸井戸・長屋敷井戸)、国指定史跡碑・案内板・上杉謙信詩碑
ご当地グルメ
七尾名物能登丼、能登前寿司・地魚海鮮丼、能登牛ステーキ丼・能登牛炙り握り、七尾一本杉通り名物和菓子(松乃露等)、能登鍋料理・いしる鍋
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。