概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 独立式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | あり(披雲閣/大正期再建・国指定重要文化財) |
| 現存櫓 | あり(月見櫓、艮櫓、水手御門続渡櫓/いずれも国指定重要文化財) | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | あり(水手御門/国指定重要文化財) | 再建門 | あり(桜御門木造忠実復元、旭門現存) |
| 現存土塀 | あり(月見櫓・水手御門・渡櫓続土塀等現存/国指定重要文化財) | 再建土塀 | あり(桜御門続土塀木造復元等) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
高松城(たかまつじょう)は、香川県高松市玉藻町に所在する瀬戸内海に面した典型的な近世海城(海城三大名城の一つ)跡である。「玉藻城」とも称され、国の史跡、日本100名城に選定。豊臣政権下で讃岐一国を拝領した生駒親正が天正16年に築城を開始し、黒田孝高(如水)の縄張指導を受けたと伝わる。瀬戸内海の海水を三重の堀(内堀・中堀・外堀)に直接引き込み、城内から直接軍船の出撃が可能な水軍要塞として完成された。本丸を中心に二の丸、三の丸、北の丸、東の丸を同心円状に配置した輪郭式平城で、本丸は四方を内堀に囲まれた孤島状の構造を持つ。松平氏時代に三重五階の層塔型天守や南蛮造りの月見櫓が整備された。近年、解体・発掘調査を経て天守台石垣の修復や本丸と二の丸を結ぶ木造「鞘橋」の架け替え、三の丸正門である「桜御門」の伝統木造完全復元が完了し、近世水城の雄姿を今に伝えている。
歴史的役割
四国平定後の豊臣政権における瀬戸内海交通統制と西国鎮撫の拠点として築かれ、生駒氏4代54年間の本拠となった。寛永17年(1640年)の生駒騒動による改易後、水戸徳川家出身の徳川光圀の同母兄・松平頼重が東讃岐12万石で入封。頼重以降、水戸徳川家の分家である親藩高松松平家11代の居城として明治維新まで存続し、幕府の四国監視機能を担った。城内水堀は瀬戸内海の干満と連動して水位が変化し、現在もチヌ(黒鯛)やマダイが回遊する全国唯一の海城遺構である。天守は明治17年(1884年)に老朽化のため破却されたが、松平家の別邸として大正6年に再建された「披雲閣」は近代和風建築の傑作として国の重要文化財に指定されている。明治維新後は陸軍用地を経て玉藻公園として整備され、高松港と連動した港湾要塞都市の歴史を伝承している。
見どころ
城内に直接瀬戸内海の海水を引き込みタイが泳ぐ日本三大水城の象徴「海水水堀(内堀・中堀)」および舟遊び・鯛の餌やり体験、海からの監視と出入り口を兼ねた国指定重要文化財「月見櫓(着見櫓)・水手御門・渡櫓」、旧東の丸から昭和40年に移築現存する国重文「艮櫓」、解体修理を経て完全復原された壮麗な「天守台石垣」および内堀に架かる木造屋根付き橋「鞘橋」、令和4年(2022年)に伝統木造工法で完全復元された三の丸の城門「桜御門」、伝統的数寄屋風建築の粋を集めた大正期の旧松平家別邸「披雲閣(国指定重要文化財)」および名勝披雲閣庭園、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
讃岐うどん(ぶっかけうどん・釜揚げうどん・骨付鳥セット)、骨付鳥(一鶴等・おやどり・ひなどり)、オリーブ牛料理(ステーキ・牛丼)、高松名物あんもち雑煮、しょうゆ豆(香川伝統郷土料理)
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。