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100名城・続100名城 36番
別称 霞ヶ城、丸岡城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 27.1m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式・梯郭式複合
築城者柴田勝豊
築城年天正4年(1576年)
廃城年明治4年(1871年)
主な城主柴田氏、安井氏、青山氏、今村氏、本多氏、有馬氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造独立式 天守形式望楼型
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門あり(元:不明門伝承、先:市内蓮福寺山門/市指定文化財)
遺構 水堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:27.1m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

丸岡城(まるおかじょう)は、福井県坂井市丸岡町霞町一丁目に所在する九頭竜川北岸の丸岡平野に孤立する小丘陵(標高約22メートル、比高約17メートル)に築かれた近世平山城跡である。「霞ヶ城」とも称され、国の重要文化財(現存天守)、日本100名城に選定。天正4年に織田信長の命を受けた柴田勝家の甥・柴田勝豊が築城した。二重三階の木造望楼型天守は全国に12棟残る現存天守の一つであり、寒冷地の積雪や凍結に耐えるため笏谷石(しゃくだにいし)で葺かれた全国唯一の「石瓦屋根(総重量約120トン)」を誇る。昭和23年(1948年)の福井地震で倒壊したものの、部材の約8割を再利用して昭和30年に忠実に組み直され原型を回復した。天守を支える野面積みの荒々しい天守台石垣や、山麓を囲む水堀・土塁が良好に遺存し、春には約400本のソメイヨシノが天守を包み込む名勝としても知られる。

⚔️ 歴史的役割

織田信長による越前一向一揆鎮圧後、北庄城の柴田勝家が越前統治を強化する北方の前線拠点として勝豊に命じ豊原寺城から拠点を移して築かせた。本能寺の変後の賤ヶ岳の戦いでは勝豊が羽柴秀吉方に寝返ったため落城を免れ、丹羽氏、青山氏を経て関ヶ原合戦後に結城秀康の越前入封に伴い家老・本多成重(初代越前丸岡藩主)が4万3千石で入城。成重の父・本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の簡潔な手紙(日本一短い手紙)の「お仙」こそ幼少期の成重である。本多氏改易後は有馬清純が5万石で入封し、以後有馬氏8代の居城として幕末・明治維新まで存続した。平野部の水運と街道を掌握する越前北部の政治・軍事中枢として機能した。

👀 見どころ

現存十二天守の一つであり笏谷石の石瓦で屋根を覆う全国唯一の二重三階「現存重要文化財天守」(急勾配の木造階段・石落とし・破風・石瓦)、自然石を加工せず荒々しく積み上げた織豊期の原形を留める「天守台野面積み石垣」、城下に現存移築されている坂井市指定文化財「不明門(蓮福寺山門)」、平野部に残る本丸周囲の「水堀」景観、日本一短い手紙文を記念して城内に建つ「一筆啓上碑」および隣接する「一筆啓上日本一短い手紙の館」、約400本の桜が咲き誇る日本さくら名所100選の霞ヶ城公園、国重文碑・日本100名城碑・案内板

🍲 ご当地グルメ

越前おろしそば(辛味大根・削り節・出汁つゆ)、竹田の油あげ(谷口屋の大判油揚げ定食・油揚げカツ)、越前ガニ(越前かに丼・甲羅盛り)、福井ソースカツ丼、水ようかん(冬の越前銘菓・丁稚ようかん)


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR北陸新幹線・ハピラインふくい線芦原温泉駅から京福バス(丸岡線・東尋坊線等)で約20分「丸岡城」下車すぐ、または福井駅西口から京福バス(丸岡線)で約40〜50分「丸岡城」下車すぐ(坂井市丸岡町霞町一丁目・霞ヶ城公園一帯、標高約22m、比高約17m)

車でのアクセス

北陸自動車道 丸岡ICから県道17号経由で西へ車で約5分

駐車場

有(丸岡城一筆啓上茶屋前駐車場等、無料約150台)

📍 周辺地図

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