コンテンツへスキップ
100名城・続100名城 153番
別称 多気御所、霧山城館、北畠氏館跡、北畠神社
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 410.5m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別居館
縄張平山城
曲輪配置連郭式・梯郭式複合
築城者北畠顕能
築城年南朝・正平年間(1346〜1370年頃)
廃城年天正4年(1576年)
主な城主北畠氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:410.5m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

北畠氏館(きたばたけしやかた)は、三重県津市美杉町上多気に所在する雲出川上流の山あいに築かれた伊勢国司・北畠氏約240年間の本拠居館跡である。「多気御所」とも称され、国の史跡(霧山城跡と一括指定)、続日本100名城に選定。南朝の重鎮・北畠顕能が南朝方の恒久拠点として築いた。背後の山頂に詰城である霧山城(標高約560メートル)を控え、山麓の傾斜地に主殿(御所)、庭園、家臣団屋敷などを階段状に配する典型的な「根小屋(山麓居館)と詰城」の複合構造を持つ。敷地を囲む重厚な土塁や空堀、石垣、桝形虎口が明瞭に残る。館跡の一角に造営された「北畠氏館跡庭園」は室町幕府管領・細川高国によって作庭されたと伝わり、国の名勝および史跡に二重指定されている。池泉鑑賞式枯山水の手法を取り入れた中世武家庭園の傑作として全国的に極めて高い評価を受けており、現在は北畠神社境内として整備・保存されている。

⚔️ 歴史的役割

伊勢国司として南朝を軍事・政治・精神面で支え続けた名門・北畠氏の本拠地として栄えた。三方を山に囲まれた多気の地は天然の要害であり、京都・大和・吉野と伊勢志摩・熊野を結ぶ交通・連絡路を掌握した。戦国時代には北畠具教の代に最盛期を迎え、公家文化と武家文化が高度に融合した「多気文化」を花開かせた。しかし永禄12年(1569年)、織田信長による伊勢侵攻(大河内城の戦い)により信長の次男・信雄(茶筅丸)を養子に迎えて和睦。天正4年(1576年)、信長・信雄父子の謀略により具教をはじめとする一族が三瀬御所で暗殺される「三瀬の変」が勃発。続いて織田軍が多気に攻め入り、詰城の霧山城とともに館も焼き討ちされ、北畠氏宗家は滅亡・廃絶となった。近世の大規模改変を受けていないため、中世国司の居館構造と優美な庭園遺構が当時のまま現代に留められている。

👀 見どころ

中世武家庭園の最高峰として国指定名勝・史跡に指定された池泉鑑賞式「北畠氏館跡庭園(米字池・石組・築山遺構)」、館跡の周囲をめぐる重厚な「土塁」および館を区画する「空堀(堀切)」跡、土留めや虎口に用いられた「野面積み石垣」、北畠顕能公を主祭神として祀る「北畠神社」社殿および境内、背後の山頂に連なり詰城の遺構を完存する国指定史跡「霧山城跡(詰山城)」、館跡から出土した陶磁器等の資料を展示し続日本100名城スタンプが置かれた「美杉ふるさと資料館」、紅葉の名所としても名高い幽玄な神社社叢景観、国指定史跡碑・名勝碑・案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR名松線伊勢奥津駅から津市美杉地域連携バス(多気・奥津線等)で約10〜15分「上多気」または「北畠神社前」下車すぐ、または近鉄大阪線名張駅・榊原温泉口駅からタクシーで約40分(津市美杉町上多気・北畠神社境内一帯、標高約320m、比高約15m)

車でのアクセス

名阪国道 針ICから国道369号および国道368号経由で南東へ車で約50分、または伊勢自動車道 久居ICから県道15号経由で西へ約55分

駐車場

有(北畠神社前駐車場、無料約30台)

📍 周辺地図

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

トップへ戻る