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100名城・続100名城 152番
別称 安濃津城、津要害、津城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 あり
標高 5.4m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平城
曲輪配置輪郭式・梯郭式複合
築城者細野藤光(近世大改修は織田信包・藤堂高虎)
築城年永禄年間(1558〜1570年頃細野氏、元亀元年・1570年頃織田信包改修、慶長13年・1608年藤堂高虎近世大改修)
廃城年明治4年(1871年)
主な城主細野氏、織田氏、富田氏、藤堂氏
指定文化財都道府県指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造複合式 天守形式層塔型
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓あり(西鉄門東多聞櫓外観復元/模擬丑寅櫓)
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀あり(丑寅櫓周囲土塀復元)
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 水堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:5.4m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

津城(つじょう)は、三重県津市丸之内に所在する伊勢平野中央部の安濃川と岩田川に挟まれた三角州低湿地(標高約6メートル)に築かれた津藩藤堂家32万石(のち22万石)の本拠たる近世平城跡である。「安濃津城」とも称され、三重県指定史跡、続日本100名城(177番)に選定。戦国期に細野藤光が築いた城館を起源とし、織田信長の弟・織田信包が入城して本丸・天守を構えた。関ヶ原合戦後に築城の名手として名高い藤堂高虎が入封し、慶長13年(1608年)から大規模な天下普請並みの近世大改修を実施。本丸を中心に二の丸、西の丸を同心円状・梯郭状に配し、高虎得意の直線的で壮大な打込接ぎ高石垣と広大な水堀(内堀・外堀)を張り巡らせた。昭和33年(1958年)に本丸北東隅に白亜二層の模擬丑寅櫓(西鉄門東多聞櫓外観模倣)が建設され、現在は「お城公園」として整備されている。

⚔️ 歴史的役割

伊勢湾に面する古来の重要港湾「安濃津」を抑え、伊勢参宮街道が貫く交通・軍事の最要衝として発展した。信包時代には近江浅井氏滅亡後のお市の方と浅井三姉妹(茶々・初・江)が約10年間滞在・庇護された地として名高い。慶長5年(1600年)の関ヶ原前哨戦(安濃津城の戦い)では、東軍に属した城主・富田信高と妻(毛利秀頼の娘)が籠城し、西軍3万余の猛攻に晒され城下とともに炎上開城した。その後、伊勢・伊賀にまたがる防衛拠点を固めるため徳川家康から信を置かれた藤堂高虎が入城。高虎は城郭の輪郭を一新して外堀を拡張し、城下町を整備して伊勢国の政治・経済の中枢を確立した。江戸時代を通じて藤堂宗家12代が統治し、幕末まで藩政を維持した。明治初期に建築物は解体されたが、高虎が築いた優美かつ堅固な高石垣と水堀が伊勢平野の中心都市に鮮明に残されている。

👀 見どころ

築城の名手・藤堂高虎の築城術の粋を示す本丸周囲の壮大な「本丸打込接ぎ高石垣群」および「天守台石垣」、昭和33年に再建され城跡の象徴となっている白亜二重二階の「模擬丑寅櫓(外観復元多聞櫓)」および復元土塀、往時の縄張規模を伝える本丸南面を満々と水を湛えて囲む「内堀(水堀)」、本丸中央に威風堂々と鎮座する「藤堂高虎公騎馬銅像」、浅井三姉妹とお市の方が暮らした歴史を伝える「浅井三姉妹ゆかりの地記念碑」、本丸を囲む重厚な「土塁」および犬走り遺構、伊勢平野の防衛要衝としての風格を伝える三重県指定史跡碑・案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

近鉄名古屋線・JR紀勢本線津駅東口から三重交通バス(米津行・天白行等)で約8分「三重会館前」下車徒歩約3〜5分、または近鉄津新町駅から徒歩約15分(津市丸之内・お城公園一帯、標高約6m、比高約0m)

車でのアクセス

伊勢自動車道 津ICから県道42号経由で東へ車で約10分、または久居ICから車で約20分

駐車場

有(津市お城駐車場、有料約30台/市営お城前駐車場ほか周辺駐車場あり)

📍 周辺地図

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