概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 複合式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(西鉄門東多聞櫓外観復元/模擬丑寅櫓) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | あり(丑寅櫓周囲土塀復元) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
津城(つじょう)は、三重県津市丸之内に所在する伊勢平野中央部の安濃川と岩田川に挟まれた三角州低湿地(標高約6メートル)に築かれた津藩藤堂家32万石(のち22万石)の本拠たる近世平城跡である。「安濃津城」とも称され、三重県指定史跡、続日本100名城(177番)に選定。戦国期に細野藤光が築いた城館を起源とし、織田信長の弟・織田信包が入城して本丸・天守を構えた。関ヶ原合戦後に築城の名手として名高い藤堂高虎が入封し、慶長13年(1608年)から大規模な天下普請並みの近世大改修を実施。本丸を中心に二の丸、西の丸を同心円状・梯郭状に配し、高虎得意の直線的で壮大な打込接ぎ高石垣と広大な水堀(内堀・外堀)を張り巡らせた。昭和33年(1958年)に本丸北東隅に白亜二層の模擬丑寅櫓(西鉄門東多聞櫓外観模倣)が建設され、現在は「お城公園」として整備されている。
歴史的役割
伊勢湾に面する古来の重要港湾「安濃津」を抑え、伊勢参宮街道が貫く交通・軍事の最要衝として発展した。信包時代には近江浅井氏滅亡後のお市の方と浅井三姉妹(茶々・初・江)が約10年間滞在・庇護された地として名高い。慶長5年(1600年)の関ヶ原前哨戦(安濃津城の戦い)では、東軍に属した城主・富田信高と妻(毛利秀頼の娘)が籠城し、西軍3万余の猛攻に晒され城下とともに炎上開城した。その後、伊勢・伊賀にまたがる防衛拠点を固めるため徳川家康から信を置かれた藤堂高虎が入城。高虎は城郭の輪郭を一新して外堀を拡張し、城下町を整備して伊勢国の政治・経済の中枢を確立した。江戸時代を通じて藤堂宗家12代が統治し、幕末まで藩政を維持した。明治初期に建築物は解体されたが、高虎が築いた優美かつ堅固な高石垣と水堀が伊勢平野の中心都市に鮮明に残されている。
見どころ
築城の名手・藤堂高虎の築城術の粋を示す本丸周囲の壮大な「本丸打込接ぎ高石垣群」および「天守台石垣」、昭和33年に再建され城跡の象徴となっている白亜二重二階の「模擬丑寅櫓(外観復元多聞櫓)」および復元土塀、往時の縄張規模を伝える本丸南面を満々と水を湛えて囲む「内堀(水堀)」、本丸中央に威風堂々と鎮座する「藤堂高虎公騎馬銅像」、浅井三姉妹とお市の方が暮らした歴史を伝える「浅井三姉妹ゆかりの地記念碑」、本丸を囲む重厚な「土塁」および犬走り遺構、伊勢平野の防衛要衝としての風格を伝える三重県指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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