概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 複合式 | 天守形式 | 望楼型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | あり(元:三の丸蔵、先:町内玄照寺蔵伝承等) | 移築門 | あり(元:富士見門、先:町内玉祥寺山門/町指定文化財、元:城門伝承、先:町内個人宅等) |
| 遺構 | 水堀あり・空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
田丸城(たまるじょう)は、三重県度会郡玉城町田丸に所在する伊勢平野南端の独立丘陵・城山(標高約40メートル、平野部比高約30メートル)に築かれた近世平山城跡である。「玉城」とも称され、三重県指定史跡、続日本100名城(179番)に選定。南北朝期に南朝方の重鎮・北畠親房が伊勢神宮を奉じて南朝方の拠点として築いた城館を起源とする。天正3年(1575年)に織田信長の次男・織田信雄が入城して大改修を行い、本丸に三層天守を築いて近世城郭の祖形を整えた。山頂の本丸・天守台を中心に二の丸、北の丸を配し、山麓の外郭(三の丸等)を内堀・外堀(水堀・空堀)で多重に囲繞する梯郭式平山城の縄張を持つ。丘陵全体に野面積み・打込接ぎの雄大な石垣群が巡り、天守台や本丸虎口の石垣が極めて良好に現存する。現在は城山公園として整備され、春の桜や初夏の大賀ハスが彩る歴史的名所となっている。
歴史的役割
伊勢本街道・熊野街道が合流する交通・軍事の要衝に位置し、伊勢神宮への参詣路および志摩方面を押さえる南伊勢支配の最重要拠点として機能した。南北朝期には南朝方の北畠軍と北朝方の足利軍との間で激しい攻防戦が繰り広げられた。戦国期には北畠氏庶流の田丸氏が居城としたが、織田信長の伊勢平定に伴い信雄が入封して南伊勢統治の中枢城郭へと大改修された。天正8年(1580年)に天守が失火により焼失した後、豊臣期には稲葉重通や牧野忠成らが領有。慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後に伊勢津藩主・藤堂高虎の領地を経て、元和5年(1619年)に紀州藩初代・徳川頼宣の付家老・久野宗成が1万石で城代として入城。以後、明治維新まで代々久野家が治める紀州藩田丸領の代官所・陣屋城として幕末まで機能した。富士見門が寺院に移築現存するなど往時の面影を色濃く残している。
見どころ
織田信雄が築き三層天守がそびえていた堂々たる「本丸天守台石垣」、本丸・二の丸の周囲を取り巻く野面積み・打込接ぎによる圧巻の「石垣群」および枡形虎口、城山山麓を巡り夏には大賀ハスが咲き誇る「内堀・外堀(水堀)」、山頂本丸に遺存する貴重な籠城用水確保の「本丸大井戸」、町内玉祥寺山門として移築現存する玉城町指定有形文化財「旧田丸城富士見門(長屋門)」、二の丸跡に建てられ町の文化遺産を伝える「村山龍平記念館(朝日新聞創業者)」、本丸天守台から伊勢平野や大内山川流域・伊勢湾方面を見渡す眺望、三重県指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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