概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 複合連結式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(隅櫓復元/多聞櫓復元) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(本丸門復元) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | あり(城壁土塀復元) |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 水堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
岸和田城(きしわだじょう)は、大阪府岸和田市岸城町に所在する大阪湾岸沿いの低台地(標高約10メートル)に築かれた和泉岸和田藩岡部家5万3千石の本拠たる近世平城跡である。「千亀利城(ちきりじょう)」の美名で親しまれ、大阪府指定史跡、続日本100名城(161番)に選定。本丸と二の丸の重なりが機織りの「ちきり(筬)」に似ることに由来する。南北朝期の楠木氏一族・和田高家の居館を起源とし、天正13年(1585年)の紀州征伐後に豊臣秀吉の叔父・小出秀政や中村一氏が本格的な近世城郭として大改修した。本丸を中心に二の丸、三の丸、新城を配し、幅広の水堀と壮大な野面積み・打込接ぎ高石垣が本丸を取り巻く。文政10年(1827年)に落雷で五層天守が焼失したが、昭和29年(1954年)に三層三階の復興天守が再建され、本丸前庭には昭和の作庭家・重森三玲が諸葛孔明の八陣法を模して造営した国指定名勝「八陣の庭」が広がる。
歴史的役割
大坂城の南方を扼し、紀州街道および大阪湾の海上交通を制圧・監視する紀州徳川家・西国大名への抑えの最重要拠点として機能した。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは、留守を突いた根来・雑賀一揆衆と羽柴方の城代・中村一氏が激突(岸和田城の戦い)。蛸に乗った法師と無数の蛸が一揆勢を退けたという「蛸地蔵伝説」が生まれた。関ヶ原合戦後に小出氏、松平(松井)氏を経て、寛永17年(1640年)に徳川譜代の重臣・岡部宣勝が6万石で入封。以後、明治維新まで岡部氏13代が230余年にわたり和泉国唯一の城郭大名として藩政を司った。幕末の軍制改革や海岸防備にも注力し、明治4年の廃城令後に櫓や門が撤去されたが、広大な水堀と石垣が完存。昭和期の天守再建や名勝庭園の作庭を経て、城下町岸和田の象徴として今日に親しまれている。
見どころ
昭和29年に再建され内部に城郭資料や岡部家ゆかりの武具・甲冑を展示する「三層三階復興天守」、作庭家・重森三玲が諸葛孔明の陣形を枯山水で表現した国指定名勝「岸和田城庭園(八陣の庭)」、本丸を取り囲む秀吉・小出秀政期の豪壮な「野面積み・打込接ぎ高石垣群」、本丸・二の丸をめぐり満々と水を湛える幅広の「本丸水堀(千亀利堀)」、本丸入口に復元された「本丸門」および多聞櫓・隅櫓・城壁土塀、城の鎮守として祀られた「岸城神社(だんじり祭発祥の地の一つ)」、天守最上階から大阪湾・関西国際空港・六甲山系・和泉山脈を見渡す展望、大阪府指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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