概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)は、鳥取県八頭郡若桜町大字三倉に所在する因幡と播磨・但馬を結ぶ交通の要衝・鶴尾山(標高約452メートル、比高約250メートル)山頂部に築かれた織豊期の本格的近世山城跡である。国の史跡、続日本100名城(168番)に選定。中世に因幡守護・山名氏の重臣である矢部定栄が築城した中世要害を起源とし、織田政権下で入封した木下重堅、ついで関ヶ原合戦後に入城した山崎家盛によって総石垣造りの近世山城へと大改修された。山頂の本丸・天守台を中心に二の丸、三の丸、東ノ丸、六角牛勢留などを配する連郭式縄張を持つ。発掘調査では本丸周囲をめぐる豪壮な野面積み・打込接ぎ高石垣や虎口、礎石建物跡、瓦片が多数検出され、元和3年の一国一城令に伴う意図的な破城(石垣崩し)の痕跡が明瞭に確認された。山麓には蔵通りや仮山伏など往時の風情を残す若桜宿が広がる。
歴史的役割
因幡国東南部の国境地帯に位置し、因幡・但馬・播磨を結ぶ街道(若桜街道等)を掌握する軍事・交通の最重要拠点として機能した。天正年間、織田信長の命を受けた羽柴秀吉の鳥取城攻めに呼応して秀吉配下の木下重堅(豊臣秀吉の旧家臣)が城主となり、近世城郭化に着手。重堅は文禄・慶長の役に従軍する一方、城下町(若桜宿)の整備を進めた。慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦で西軍に属した重堅が自刃した後、東軍として功を挙げた山崎家盛が3万石で入封。家盛は城郭の大規模な拡張・天守台石垣普請を断行し、因幡を代表する石垣要塞を完成させた。しかし慶長19年(1614年)に家盛が没し、元和3年(1617年)に山崎氏が備中成羽へ転封となると、因幡・伯耆を領した池田光政の領地となり、一国一城令により廃城・破却された。破城後の石垣がそのまま山上に保存され、織豊期山城の実態を示す第一級の史跡である。
見どころ
山崎家盛期に築造された本丸北端に威容を誇る豪壮な「天守台石垣」および「本丸野面積み高石垣群」、本丸入口に構えられた強固な防御構造を示す「本丸枡形虎口」および大石段、一国一城令による破城令の痕跡を生々しく留める石垣隅角部の意図的な崩壊跡、東ノ丸や六角牛勢留などの曲輪間を峻険に断ち切る「堀切」群・「切岸」遺構、城兵の生命線を支えた山頂稜線直下の「井戸跡」、山頂本丸から若桜宿の町並み・八東川流域・氷ノ山山系の山並みを見渡す360度の大パノラマ、山麓に白壁土蔵や木造アーケード(カリヤ通り)が連なる宿場町・城下町景観、国指定史跡碑・案内板