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100名城・続100名城 186番
別称 金田城跡、かねだのき、城山要害、城山砲台
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 82.7m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別古代山城
縄張古代山城
曲輪配置朝鮮式
築城者中大兄皇子(天智天皇)
築城年天智天皇6年(667年)
廃城年平安時代(10世紀初頭頃)
主な城主大和朝廷(防人、対馬国司)
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:82.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

金田城(かねだじょう/かねだのき)は、長崎県対馬市美津島町黒瀬に所在する浅茅湾南岸のリアス海岸に突き出た急峻な独立山塊・城山(標高約276メートル)全域に築かれた日本最古級の朝鮮式古代山城跡である。国の特別史跡、続日本100名城(184番)に選定。『日本書紀』天智天皇6年(667年)条に対馬国金田城を築いた旨が明記される。山頂から海岸部に至る険阻な自然地形を活かしつつ、南東側の開析谷を総延長約2.8キロメートルの石塁・石垣(城壁)で遮断。谷部には第1城門・第2城門・第3城門の堅牢な石塁門や水門(排水暗渠)が整然と築造された。城内中央の平坦地「ビンクシ山」周辺からは掘立柱建物跡や鍛冶工房跡、炭化米が出土。浅茅湾の絶景と古代防衛線の威容が奇跡的な保存状態で遺存し、明治期には日露戦争に備えた近代要塞(城山砲台)が重層的に建設されたことでも名高い。

⚔️ 歴史的役割

白村江の戦い(663年)で唐・新羅連合軍に大敗した大和朝廷が、国土防衛の最前線(国防の最前哨拠点)として築城した。朝鮮半島と本土(大宰府・畿内)を結ぶ航路の要衝である対馬に配備され、東国などから徴発された「防人(さきもり)」が常駐。『万葉集』に遺された防人の悲哀の歌の舞台としても知られる。山頂には狼煙を上げて変事を本土へ通報する「烽火(とぶひ)」が設置され、壱岐・北部九州と連動した防衛通信ネットワークの中核を担った。東アジア情勢の安定に伴い古代山城としての役割を終えたが、明治期になるとロシア帝国の南下に備えた軍事拠点として再着目され、帝国陸軍により山頂周辺に城山砲台(砲座・掩蔽部・軍道)が建設された。飛鳥時代の国家存亡の危機と明治期の近代防空・砲台要塞という、二千数百年にわたる国防史の劇的転換点が同一の山塊に重層して現存する極めて特異な歴史的価値を持つ。

👀 見どころ

谷部を重厚に遮断し古代山城の卓越した土木技術を伝える壮大な石塁「一ノ城門・二ノ城門・三ノ城門跡(城壁石垣群)」、山中平坦部に整然と並び防人の生活・政庁機能を物語る「ビンクシ平坦地(礎石・掘立柱建物跡)」、古代に大宰府へ変事を伝えた国防通信ネットワークの原点「山頂烽火台跡」、城山山頂から見晴らす波静かな浅茅湾のリアス式海岸・多島美・水平線の360度大パノラマ、明治33年に対馬警備のため築かれ当時の砲座や地下弾薬庫・軍道が完存する「城山砲台跡」、対馬市観光交流センター(厳原)や美津島行政サービスセンターに設置された続日本100名城スタンプ、国特別史跡碑・解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(1城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

対馬やまねこ空港からタクシーで金田城登山口(城山登山口駐車場)まで約30分、または厳原港(フェリーターミナル)から車・タクシーで約40分、登山口駐車場から山頂烽火台・山頂主郭部まで遊歩道・軍道を徒歩約50〜60分(対馬市美津島町黒瀬・浅茅湾南岸に突き出た城山山頂一帯、最高所標高約276m、浅茅湾水面比高約276m)

車でのアクセス

対馬空港から国道382号経由で北西へ車で約20分、美津島町黒瀬林道入口から黒瀬登山口まで車で約10分(計約30分)、または厳原中心部から国道382号経由で約40分

駐車場

有(城山登山口駐車場、無料約15台)

📍 周辺地図

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