概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
金田城(かねだじょう/かねだのき)は、長崎県対馬市美津島町黒瀬に所在する浅茅湾南岸のリアス海岸に突き出た急峻な独立山塊・城山(標高約276メートル)全域に築かれた日本最古級の朝鮮式古代山城跡である。国の特別史跡、続日本100名城(184番)に選定。『日本書紀』天智天皇6年(667年)条に対馬国金田城を築いた旨が明記される。山頂から海岸部に至る険阻な自然地形を活かしつつ、南東側の開析谷を総延長約2.8キロメートルの石塁・石垣(城壁)で遮断。谷部には第1城門・第2城門・第3城門の堅牢な石塁門や水門(排水暗渠)が整然と築造された。城内中央の平坦地「ビンクシ山」周辺からは掘立柱建物跡や鍛冶工房跡、炭化米が出土。浅茅湾の絶景と古代防衛線の威容が奇跡的な保存状態で遺存し、明治期には日露戦争に備えた近代要塞(城山砲台)が重層的に建設されたことでも名高い。
歴史的役割
白村江の戦い(663年)で唐・新羅連合軍に大敗した大和朝廷が、国土防衛の最前線(国防の最前哨拠点)として築城した。朝鮮半島と本土(大宰府・畿内)を結ぶ航路の要衝である対馬に配備され、東国などから徴発された「防人(さきもり)」が常駐。『万葉集』に遺された防人の悲哀の歌の舞台としても知られる。山頂には狼煙を上げて変事を本土へ通報する「烽火(とぶひ)」が設置され、壱岐・北部九州と連動した防衛通信ネットワークの中核を担った。東アジア情勢の安定に伴い古代山城としての役割を終えたが、明治期になるとロシア帝国の南下に備えた軍事拠点として再着目され、帝国陸軍により山頂周辺に城山砲台(砲座・掩蔽部・軍道)が建設された。飛鳥時代の国家存亡の危機と明治期の近代防空・砲台要塞という、二千数百年にわたる国防史の劇的転換点が同一の山塊に重層して現存する極めて特異な歴史的価値を持つ。
見どころ
谷部を重厚に遮断し古代山城の卓越した土木技術を伝える壮大な石塁「一ノ城門・二ノ城門・三ノ城門跡(城壁石垣群)」、山中平坦部に整然と並び防人の生活・政庁機能を物語る「ビンクシ平坦地(礎石・掘立柱建物跡)」、古代に大宰府へ変事を伝えた国防通信ネットワークの原点「山頂烽火台跡」、城山山頂から見晴らす波静かな浅茅湾のリアス式海岸・多島美・水平線の360度大パノラマ、明治33年に対馬警備のため築かれ当時の砲座や地下弾薬庫・軍道が完存する「城山砲台跡」、対馬市観光交流センター(厳原)や美津島行政サービスセンターに設置された続日本100名城スタンプ、国特別史跡碑・解説案内板