概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
芥川山城(あくたがわやまじょう)は、大阪府高槻市大字原に所在する名勝・摂津峡東岸の独立丘陵・三好山(標高約183メートル、比高約100メートル)山頂部に築かれた戦国期畿内最大級の山城跡である。史跡指定名称は「芥川城跡」であり、国の史跡、続日本100名城(159番)に選定。永正12〜13年頃に室町幕府管領・細川高国が能勢頼則に命じて築城させた。三方を蛇行する芥川の渓谷と断崖に守られた天然の要害で、最高所の本丸(主郭)を中心に東曲輪群、西曲輪群、出丸など多数の曲輪が連郭・階郭状に配されている。発掘調査では主郭から礎石建物群(会所・御殿跡)や庭園状の遺構、石組暗渠排水路、金箔瓦片、貿易陶磁器が出土したほか、大手筋の谷部や曲輪各所には戦国初期〜中期の貴重な野面積み石垣が良好に遺存し、戦国権力の中枢たる政治拠点(政庁)としての威容が考古学的に実証されている。
歴史的役割
畿内の覇権をめぐる戦国中央政局の軍事・政治的最重要拠点として機能した。細川高国の失脚後は細川晴元の本拠となり、天文22年(1553年)には「最初の天下人」と称される三好長慶が入城。長慶は飯盛山城へ本拠を移すまでの約7年間にわたり本城に在城し、足利将軍家や管領細川氏を圧倒して畿内・四国にまたがる三好政権を統治する事実上の「首都」として機能させた。長慶の嫡男・三好義興が城主を務め、松永久秀も連歌会を催すなど先進的な文化の発信地となった。永禄11年(1568年)、足利義昭を奉じて上洛した織田信長が侵攻すると開城。信長は一時本陣を置き、摂津三守護の一人・和田惟政を城主に任命した。その後、高山友照(高山右近の父)らが在城したが、天正元年(1573年)頃に高槻城へ拠点が移されたことで廃城となった。戦国最盛期の政庁型山城の姿がそのまま残されている。
見どころ
三好長慶が会所・政庁を構え礎石建物跡が検出された山頂の「本丸跡(主郭)」および長慶を祀る祠、大手口の谷筋や曲輪斜面を強固に固める戦国期の貴重な「野面積み石垣群」、主郭への侵入路を厳重に遮断する「土橋」「堀切」「切岸」遺構、主郭を取り巻く帯曲輪・腰曲輪群と発掘で確認された石組排水路跡、三好山の山頂主郭から大阪平野・淀川流域・高槻市街・生駒山系・あべのハルカスまで見晴らす360度の大パノラマ、城郭北麓・西麓を天然の外堀として取り囲む景勝地「摂津峡(芥川渓谷)」、続日本100名城スタンプが設置された高槻市立しろあと歴史館・観光案内所、国指定史跡碑(芥川城跡碑)・案内板