概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
飯盛城(いいもりじょう)は、大阪府大東市大字北条および四條畷市南野にまたがる生駒山地北西の独立峰・飯盛山(標高約315メートル、平野部比高約300メートル)山頂部に築かれた戦国期畿内最大級の巨大山城跡である。本丸(主郭)が大東市側に所在するため同市に帰属する。国の史跡、続日本100名城(160番)に選定。天文年間に河内守護代・木沢長政が築城したことに始まる。南北約700メートル、東西約400メートルの山稜全域に広がり、千畳敷、高櫓郭、本丸、御厨郭、南郭群など無数の曲輪を連郭・群郭状に配置する。近年の発掘調査では、安土城に先駆けて全山に張り巡らされた戦国期屈指の古い年代の大規模な野面積み石垣群が発見され、礎石建物群や暗渠排水路、金箔瓦、茶道具が出土。土豪の山城から織豊系近世城郭へと至る画期をなす「最初の天下人の居城」として日本城郭史上極めて高い評価を獲得している。
歴史的役割
室町幕府管領家や細川氏・畠山氏の権力闘争を経て、永禄3年(1560年)に「最初の天下人」と称される三好長慶が入城し、三好政権の中枢拠点(事実上の首都)と定めた。長慶は芥川山城から本城へ本拠を移し、畿内から四国・淡路に及ぶ広大な領国を統治。城内でキリスト教宣教師フロイスらと会見を重ね、連歌会や茶会を盛んに催すなど戦国中央文化の発信地となった。長慶の死後は松永久秀や三好三人衆が実権をめぐって抗争を展開。永禄11年(1568年)に織田信長が上洛すると三好勢力は追われ、信長配下の軍事拠点となった。天正3年(1575年)の高屋城の戦いで信長が三好康長を降伏させた後、天正4年(1576年)頃に大坂本願寺攻めの進展に伴い廃城となった。戦国最盛期の政治的・軍事的高揚感を刻む織豊前夜のモニュメンタルな石垣山城の威容がそのまま山中に冷凍保存されている。
見どころ
安土城に先駆け全山の曲輪斜面や虎口を固める戦国最古段階の圧巻の「野面積み高石垣群」、三好長慶の政庁・会所が置かれ礎石建物跡が確認された「千畳敷」および「本丸跡(主郭)」、長慶の遺徳を偲ぶ本丸跡の「三好長慶公銅像」、曲輪間を峻険に分断する「大堀切」「竪堀群」「切岸」遺構、城兵の長期籠城を支えた山頂直下の「井戸跡(水の手)」、尾根伝いに南へ連なる南郭群(南丸)の複雑な土木遺構、山頂天守台・展望広場から大阪平野・大阪城・あべのハルカス・明石海峡大橋・六甲山系までを一望する360度の大パノラマ、山麓の大東市立歴史民俗資料館・四條畷市立歴史民俗資料館(続日本100名城スタンプ設置)、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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