概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 独立式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(模擬天守外観復元) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
洲本城(すもとじょう)は、兵庫県洲本市小路谷に所在する淡路島東岸の要害・三熊山(標高約133メートル、比高約130メートル)山頂部に築かれた中世・近世の山水城跡である。「三熊城」とも称され、国の史跡、続日本100名城(164番)に選定。大永6年に三好氏配下の安宅治興が築城した城館を起源とし、天正13年(1585年)に入封した賤ヶ岳七本槍の一人・脇坂安治が本格的な総石垣近世城郭へと大改修した。山頂の本丸・天守台を中心に東の丸、西の丸、南の丸、武者溜まりを階段状に配する。最大の特徴は、本丸石垣から海岸・山麓に向かって尾根筋を遮断するように築かれた全国的にも極めて貴重な「登り石垣(竪石垣)」であり、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で倭城の構造を実見した脇坂安治が導入した先進土木遺構である。昭和3年(1928年)に昭和天皇即位御大典記念として天守台上に日本最古級の鉄筋コンクリート造模擬天守が建造され、三熊山のシンボルとなっている。
歴史的役割
紀淡海峡・大阪湾・瀬戸内海を結ぶ水上交通の要衝に位置し、淡路水軍の統制および上方防衛・西国監視の最重要拠点として機能した。戦国期には安宅氏が淡路水軍を率いて瀬戸内海を支配したが、羽柴秀吉の淡路平定により屈服。天正10年(1582年)の仙石秀久領有を経て、天正13年に脇坂安治が3万石で入封した。安治は水軍大名として朝鮮出兵で水軍を統率する一方、本城に朝鮮倭城の技術を取り入れた登り石垣や壮大な高石垣を築いて難攻不落の要塞を完成させた。慶長14年(1609年)に安治が伊予大洲へ転封後は池田輝政・忠雄領を経て、元和元年(1615年)に阿波徳島藩主・蜂須賀至鎮の領地となった。寛永8年(1631年)以降、蜂須賀家筆頭家老・稲田氏が山麓の洲本陣屋(平城)へ拠点を移転(由良引け)したことで山頂の城郭は廃城となった。近世初頭の石垣群と登り石垣が改変を受けず完存し、城郭土木史上極めて重要な地位を占める。
見どころ
脇坂安治が朝鮮倭城の縄張技術を取り入れて本丸から斜面へと下る全国屈指の貴重な遺構「登り石垣(竪石垣)」、本丸・東の丸・西の丸を囲む豪壮な野面積みの「高石垣群」および「天守台石垣」、昭和3年に昭和天皇即位記念として築かれた日本最古の現存鉄筋コンクリート造「模擬天守(展望台)」、本丸入口に構えられた屈折を伴う厳重な迎撃施設「本丸虎口(大石段)」、曲輪間を峻険に分断する「堀切」や切岸・武者溜まり跡、城兵の生命線を支えた山頂の「大井戸」遺構、天守台・本丸展望広場から紀淡海峡・大阪湾・洲本市街・関西国際空港方面を一望する360度の大パノラマ、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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