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100名城・続100名城 200番
別称 勝連グスク、かつれんじょう、勝連城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 97m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置階郭式・連郭式複合
築城者英祖王統系按司(10代阿麻和利改修)
築城年12〜13世紀頃(14世紀初頭本格化、15世紀中頃阿麻和利改修完成)
廃城年康正2年・景泰7年(1456年)または長禄2年(1458年)
主な城主勝連按司(茂佐可按司、阿麻和利など)
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 石垣あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:97m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

勝連城(かつれんグスク)は、沖縄県うるま市勝連南風原に所在する勝連半島の丘陵先端部(標高約98メートル)に築かれた琉球王国期屈指のグスク(城郭)跡である。国の史跡、続日本100名城(200番)に選定、ユネスコ世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産。12〜13世紀に築かれ始め、15世紀中頃の10代按司・阿麻和利の時代に最盛期を迎えた。自然の石灰岩断崖を巧みに取り込み、標高差を活かして頂部の一の曲輪から二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪へと段状に下る階郭式縄張を持つ。布積み・相方積みで築かれた城壁は優美な流線形を描き、曲線石垣が連なる。発掘調査では中国産青白磁や元・明代の陶磁器、タイ・ベトナムの陶器、鉄器、さらにはローマ帝国の銅貨やオスマン帝国の硬貨まで出土し、中継貿易で莫大な富を誇った海洋交易王国の実態が実証されている。

⚔️ 歴史的役割

首里の中山王権(尚泰久王)に対抗した有力按司・阿麻和利の本拠として激動の琉球戦国史を象徴する軍事・政治・通商拠点であった。勝連半島は良好な港(屋慶名港等)を擁し、阿麻和利は海外直接交易を展開して独自の経済基盤と鉄器・火薬などの最新軍備を蓄えた。王府はその強大化を警戒し、忠臣・護佐丸を中城城へ配置して勝連を牽制させるとともに、尚泰久王の娘・百度踏揚を阿麻和利に嫁がせた。しかし阿麻和利は王府に「護佐丸に反乱の兆しあり」と讒言して護佐丸を滅ぼし、次いで首里王府を急襲しようと企てたが、妻・百度踏揚と鬼大城(越来賢雄)の通報により露見。王府軍の反撃を受け、本城に籠城した阿麻和利は鬼大城率いる軍勢に攻め滅ぼされた(護佐丸・阿麻和利の乱)。落城後は廃城となり、琉球統一権力の中央集権化が決定づけられた。

👀 見どころ

琉球石灰岩を精緻に噛み合わせ波打つように優美な曲線を描く「布積み・相方積みの高石垣(グスク城壁群)」、四の曲輪から三・二・一の曲輪へと高低差を登る防御動線と侵入者を阻む「すり鉢状の右折れ登城階段」、城内中枢で神仏を祀り祭祀空間としての機能も持った一の曲輪の「ウシヌジガマ」および「玉のミウヂ御嶽」、城兵と民衆の生命線を支えた豊富な湧水遺構「ウタミシガー」「メーガー(井戸跡)」、一の曲輪(標高98m)から中城湾・金武湾・太平洋・勝連半島・海中道路を一望する息を呑む360度大パノラマ、出土したローマ銅貨や貿易陶磁器を展示しライブ舞台・歴史展示を行うガイダンス施設「あまわりパーク(続日本100名城スタンプ設置)」、世界遺産標柱・国指定史跡碑・解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(2城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

那覇バスターミナルから沖縄バス(52番与勝線等)で約90分「勝連団地前」下車徒歩約10分、または那覇空港から車・タクシーで約70分(うるま市勝連南風原・勝連半島付け根の独立丘陵頂部、一の曲輪標高約98m、水面比高約90m)

車でのアクセス

沖縄自動車道 沖縄北ICから県道36号・県道16号経由で東へ車で約20分、または北中城ICから約25分

駐車場

有(あまわりパーク・勝連城跡歴史文化施設駐車場、無料約120台)

📍 周辺地図

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