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100名城・続100名城 199番
別称 座喜味グスク、ざきみじょう、座喜味城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 126m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者護佐丸
築城年15世紀初頭(1420年頃)
廃城年15世紀中頃(1440年頃護佐丸の中城城移封に伴い実質的軍事拠点廃止)
主な城主護佐丸
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 石垣あり・切岸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:126m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

座喜味城(ざきみグスク)は、沖縄県中頭郡読谷村字座喜味に所在する読谷山丘陵の最高所(標高約125メートル)に築かれた琉球王国期のグスク(城郭)跡である。国の史跡、続日本100名城(199番)に選定、ユネスコ世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産。三山統一を推進した名将・築城家である読谷山按司の護佐丸が1420年頃に築城した。琉球石灰岩を精緻に加工した「布積み(相方積み併用)」の優美な城壁が波打つように巡り、一の郭と二の郭が連なる連郭式縄張を持つ。沖縄に現存する最古の石造アーチ門(中央にクサビ石を打ち込んだアーチ石門)が二重に配され、脆弱な赤土地盤を克服するため城壁基底部の幅を広げ厚みを持たせた構造力学的な工夫が施されている。発掘調査では中国産青磁・白磁や古瓦、鉄製品が出土し、高度な築城技術の粋を今日に伝える。

⚔️ 歴史的役割

第一尚氏王統の勢力拡大および三山統一の過程において、北山勢力の残党監視と西海岸の海上交通掌握を担う最重要軍事拠点として機能した。護佐丸はもともと今帰仁城の北山王に滅ぼされた山田城主の系統であったが、尚巴志の北山攻略(1416年)に協力して武功を挙げた。三山統一後、護佐丸は北山勢力の不穏な動きに備えるとともに中山王権の防衛線を固めるため、旧領の山田城を取り壊してその石材を運び、より要害性の高い座喜味の高台に本城を築いたとされる。その後、尚泰久王の命により勝連按司・阿麻和利を牽制するため護佐丸が中城城へ移封されると、グスクとしての第一線軍事機能は縮小した。沖縄戦では日本軍の高射砲陣地が置かれ城壁の一部が損壊、戦後も米軍のレーダー基地として接収されたが、1970年代以降の綿密な復元整備事業によって奇跡的に美しい往時の曲線石垣とアーチ門が甦った。

👀 見どころ

琉球石灰岩を精緻に噛み合わせ沖縄最古の石造アーチ構造を伝える「一の郭・二の郭のアーチ石門(クサビ石工法)」、軟弱地盤を支えるため屏風状に大きく波打ち優美な曲線美を描く「布積みの高石垣(グスク城壁)」、敵を袋小路に誘い込み頭上から挟撃する「二の郭枡形虎口状空間」、城壁の崩落を防ぐため厚みを持たせ武者走りの役目も果たした幅広の「城壁天端構造」、城内最高所の一の郭から残波岬・東シナ海・慶良間諸島・伊江島・読谷村全域を一望する360度の大パノラマ、敷地内に併設され出土陶磁器や読谷の民俗資料を展示し続日本100名城スタンプが置かれた「世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアム」、国指定史跡碑・世界遺産標柱・解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(1城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

那覇バスターミナルから沖縄バス・琉球バス(29番読谷線等)で約60分「座喜味」下車徒歩約15分、またはゆいレール那覇空港駅から車・タクシーで約70分(中頭郡読谷村字座喜味・座喜味城山山頂一帯、最高所標高約125m、西海岸平地比高約100m)

車でのアクセス

沖縄自動車道 沖縄北ICから県道74号・国道58号・県道12号経由で西へ車で約25分

駐車場

有(座喜味城跡公園・世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアム駐車場、無料約80台)

📍 周辺地図

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