概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・横堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
赤木城(あかぎじょう)は、三重県熊野市紀和町赤木に所在する紀伊山地奥深くの盆地状平野に突き出た独立丘陵(標高約230メートル、比高約30〜40メートル)に築かれた織豊期の平山城跡である。「東海の竹田城」「天空の城」とも称され、国の史跡、続日本100名城(180番)に選定。豊臣秀長(秀吉の弟)の命を受けた築城の名手・藤堂高虎が、北山一揆を鎮圧・統制するために天正17年頃に築造した。最高所の本丸を中心に、東郭、西郭、南郭、北郭、鍛冶屋敷を配する連郭・梯郭式構造を持つ。丘陵全体に野面積みの主郭高石垣、横矢掛かりの屈折、枡形虎口が巧みに構築され、山林と雲海に包まれる孤高の城郭景観を誇る。近世城郭への過渡期における初期石垣普請と織豊系軍事要塞の構造を色濃く残し、後世の大規模な破却や改変を免れて当時の石垣遺構がほぼ完全な姿で奇跡的に残されている。
歴史的役割
豊臣政権による紀州征伐後、検地や刀狩に激しく抵抗した紀伊奥地の在地勢力(地侍・土豪ら)による「北山一揆(熊野一揆)」を軍事的に制圧・監視・平定する最前線要塞として機能した。高虎は一揆を鎮圧した後、田平子の河原(田平子首塚)にて一揆勢の指導者ら多数を斬首・処刑したと伝えられる。豊臣秀長の没後は秀吉の直轄領(蔵入地)となり、代官を務めた高虎が支配を維持した。関ヶ原合戦後に紀伊に入封した浅野幸長・長晟の支配下に入ったが、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣に際して再び蜂起した大規模な北山一揆の鎮圧拠点としても使われた。翌元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。過酷な一揆弾圧の歴史的記憶を留めるとともに、藤堂高虎の築城術の原点・初期作例を実証する学術上極めて重要な城館遺構である。
見どころ
築城の名手・藤堂高虎の初期築城術を物語る野面積み・自然石乱積みの壮麗な「本丸・東郭高石垣群」、侵入者を十字砲火で迎撃する精緻な「枡形虎口」および「横矢掛かり」構造、主郭を取り巻く帯曲輪・段郭群と郭間を画する「堀切・横堀」、秋から冬の早朝に発生する朝霧が城跡を包み込む幻想的な「天空の城・雲海景観」、城下から山頂主郭まで続く風情ある石段登城路、北山一揆の激戦と処刑の歴史を今に伝える城麓の関連史跡「田平子首塚」、主郭から見渡す紀和町赤木の棚田風景や奥熊野の山並みの絶景、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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