概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
基肄城(きいじょう)は、佐賀県三養基郡基山町大字小倉(一部福岡県筑紫野市)にまたがる基山(標高約404メートル)および北峰(標高約414メートル)の山塊全域に築かれた日本最古級の朝鮮式古代山城跡である。国の特別史跡、続日本100名城(183番)に選定。『日本書紀』天智天皇4年(665年)条に長門城とともに築造が記録される。山頂を取り巻く尾根筋に総延長約4.3キロメートルに及ぶ版築土塁や石塁を巡らし、谷部には排水暗渠を備えた巨大な水門石垣(北水門・南水門等)や城門を構える。城内盆地には米倉などの総柱建物跡(礎石群)が約40棟以上確認され、丸瓦・平瓦や炭化米が出土。大宰府南方の咽喉部を扼する広大な包塞要塞であり、古代山城の最高水準の築城技術と東アジア動乱の緊張感を今に伝える。
歴史的役割
天智2年(663年)の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した大和朝廷が、国土防衛と大宰府防衛のため亡命百済貴族(憶礼福留・四比福夫ら)の指導のもと築いた国家防衛要塞である。博多湾方面から大宰府政庁を直撃する侵攻路に対し、北方の防塁(水城・大野城)とともに大宰府の後背・退避拠点および有明海・肥前方面からの兵站・補給路を確保する軍事中枢として機能した。奈良時代・平安初期に至るまで防人(さきもり)が配備され、大宰府の重要な軍備施設として維持されたが、東アジア情勢の安定に伴い延喜年間頃に軍事機能を終えた。鎌倉末期から南北朝期には菊池氏・一色氏らによる合戦の砦として一時再利用された記録もある。白村江の敗戦から律令国家形成期に至る古代国家の危機管理体制を実証する学術上極めて貴重な記念碑的遺跡である。
見どころ
谷を遮断して築かれた古代の巨石土木技術を誇る「南水門石垣(排水暗渠遺構)」および「北水門石垣跡」、山腹や尾根筋を長大に巡る版築による「土塁(城壁)」および「石塁」遺構、城内中央の平坦面に整然と並び食糧貯蔵庫群の規模を示す「米倉跡(礎石建物群跡)」、大宰府や有明海・筑紫平野を一望する最高所「いものがんぎ」および山頂展望所、古代の祭祀空間を伝える巨石遺構「タマタマ石(天狗岩)」、基山町民会館・基山町立図書館に併設展示された出土古代瓦・炭化米と続日本100名城スタンプ、国特別史跡碑・解説案内板