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100名城・続100名城 184番
別称 基肄城跡、基山城、木山城
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 404m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別古代山城
縄張古代山城
曲輪配置朝鮮式
築城者中大兄皇子(天智天皇)
築城年天智天皇4年(665年)
廃城年平安時代・延喜年間(900年代頃)
主な城主大和朝廷(大宰府官人、防人)
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:404m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

基肄城(きいじょう)は、佐賀県三養基郡基山町大字小倉(一部福岡県筑紫野市)にまたがる基山(標高約404メートル)および北峰(標高約414メートル)の山塊全域に築かれた日本最古級の朝鮮式古代山城跡である。国の特別史跡、続日本100名城(183番)に選定。『日本書紀』天智天皇4年(665年)条に長門城とともに築造が記録される。山頂を取り巻く尾根筋に総延長約4.3キロメートルに及ぶ版築土塁や石塁を巡らし、谷部には排水暗渠を備えた巨大な水門石垣(北水門・南水門等)や城門を構える。城内盆地には米倉などの総柱建物跡(礎石群)が約40棟以上確認され、丸瓦・平瓦や炭化米が出土。大宰府南方の咽喉部を扼する広大な包塞要塞であり、古代山城の最高水準の築城技術と東アジア動乱の緊張感を今に伝える。

⚔️ 歴史的役割

天智2年(663年)の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した大和朝廷が、国土防衛と大宰府防衛のため亡命百済貴族(憶礼福留・四比福夫ら)の指導のもと築いた国家防衛要塞である。博多湾方面から大宰府政庁を直撃する侵攻路に対し、北方の防塁(水城・大野城)とともに大宰府の後背・退避拠点および有明海・肥前方面からの兵站・補給路を確保する軍事中枢として機能した。奈良時代・平安初期に至るまで防人(さきもり)が配備され、大宰府の重要な軍備施設として維持されたが、東アジア情勢の安定に伴い延喜年間頃に軍事機能を終えた。鎌倉末期から南北朝期には菊池氏・一色氏らによる合戦の砦として一時再利用された記録もある。白村江の敗戦から律令国家形成期に至る古代国家の危機管理体制を実証する学術上極めて貴重な記念碑的遺跡である。

👀 見どころ

谷を遮断して築かれた古代の巨石土木技術を誇る「南水門石垣(排水暗渠遺構)」および「北水門石垣跡」、山腹や尾根筋を長大に巡る版築による「土塁(城壁)」および「石塁」遺構、城内中央の平坦面に整然と並び食糧貯蔵庫群の規模を示す「米倉跡(礎石建物群跡)」、大宰府や有明海・筑紫平野を一望する最高所「いものがんぎ」および山頂展望所、古代の祭祀空間を伝える巨石遺構「タマタマ石(天狗岩)」、基山町民会館・基山町立図書館に併設展示された出土古代瓦・炭化米と続日本100名城スタンプ、国特別史跡碑・解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(28城)

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR鹿児島本線基山駅からタクシーで基山草スキー場登山口駐車場まで約10分、または基山駅からコミュニティバス(きやまコミュニティバス)で約15分「丸林」下車、徒歩約45分で山頂主郭部(三養基郡基山町大字小倉・基山山頂一帯、最高所標高約404m、平地比高約350m)

車でのアクセス

鳥栖筑紫野道路 かすみ坂出入口から県道17号・県道137号経由で北西へ車で約10分、または長崎自動車道・九州自動車道 鳥栖ICから車で約15分

駐車場

有(基山山頂下・草スキー場駐車場、無料約50台)

📍 周辺地図

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