概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 独立式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
村上城(むらかみじょう)は、新潟県村上市本町に所在する日本海および三面川下流に面した独立峰・臥牛山(標高約135メートル、城下からの比高約130メートル)山頂部に築かれた近世山城跡である。「舞鶴城」「本庄城」とも称され、国の史跡、続日本100名城に選定。中世に国人領主・本庄氏が築いた本庄城を起源とし、上杉景勝の会津移封後に領主となった村上頼勝・忠勝父子、ついで元和年間に入封した名将・堀直寄によって総石垣の壮麗な近世山城へと大改修された。山頂の本丸を中心に二の丸、三の丸、出丸を階段状・尾根筋に連郭状に配し、山頂全周に安山岩の打込接ぎ高石垣を巡らせている。三層天守台や桝形虎口、大空堀、竪堀を巧みに組み合わせた堅固な構造を誇る。近世中後期には山麓居館(三の丸御殿等)が政庁となったが、山頂遺構群は石垣の改修を受けつつ明治まで維持され、日本海側屈指の雄大な石垣山城景観を今日に伝えている。
歴史的役割
越後北部(岩船郡)の支配拠点および出羽国への軍事・交通の要衝として機能した。戦国期には上杉謙信配下の本庄繁長が居城とし、永禄11年(1568年)に武田信玄と結んで謙信に反旗を翻した「本庄繁長の乱」では、謙信の猛攻に耐え抜いて和睦に持ち込んだ激戦の舞台となった。関ヶ原合戦後に村上頼勝が9万石で入封して近世村上藩が成立。元和4年(1618年)に入封した堀直寄は城郭と城下町の大規模拡張・整備を完成させ、城郭としての骨格を決定づけた。その後、本多氏、越前松平氏などの譜代親藩が相次いで入封し、享保5年(1720年)に内藤弌信が5万石で入封して以降は明治維新まで内藤氏9代が藩政を司った。幕末の戊辰戦争(1868年)では、奥羽越列藩同盟と新政府軍の間で藩論が二分し、新政府軍の侵攻を前に自ら城下の建造物に火を放って落城した。山頂の壮大な高石垣群は火災と破却を耐え抜き、往時の偉容を鮮明に留めている。
見どころ
臥牛山山頂一帯を幾重にも取り囲む圧巻の「本丸・二の丸打込接ぎ高石垣群」、本丸南端にそびえ立ちかつて三層天守が威容を誇った「天守台石垣」、厳重な侵入阻止機能を備えた「四ツ門跡」「黒門跡」等の屈折桝形虎口遺構、山頂尾根筋を峻険に断ち切る「大堀切」および山腹斜面の長大な「竪堀群」、山頂本丸跡から日本海・粟島・佐渡島・村上市街地・三面川・朝日連峰を一望する360度の大パノラマ、山麓に鎮座し歴代藩主内藤家を祀る「藤基神社(国指定重要文化財本殿)」、中世山城の遺構を良好に留める「出丸跡」、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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