概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。
概要
鮫ヶ尾城(さめがおじょう)は、新潟県妙高市大字宮内に所在する高田平野南端の独立丘陵(標高約185メートル、平野部からの比高約130メートル)に築かれた上杉氏の戦国山城跡である。国の史跡、続日本100名城に選定。越後から信濃へ抜ける北国街道を眼下に扼する要衝に位置し、春日山城の南方を守る「頸城三大城塞」の一つに数えられる。山頂の本丸(主郭)を中心に、二の丸、三の丸、米蔵跡、東郭などの曲輪群が尾根筋に沿って直線的・連郭状に整然と配置されている。各曲輪間を遮断する豪快な大堀切、斜面を長大に穿った連続竪堀、虎口、重厚な土塁が明瞭に残る。近年の学術発掘調査では本丸や米蔵跡から炭化米(焼け米)が大量に出土し、当時の兵粮備蓄の実態とともに、城が激しい火災に見舞われて落城した歴史的事実を考古学的に実証した貴重な戦国土の城である。現在は斐太歴史の里として整備されている。
歴史的役割
上杉謙信の越山・信濃出兵における重要中継・補給拠点として機能し、謙信の死後に勃発した上杉家の家督争い「御館の乱(1578〜1579年)」の最終決戦地・終焉の地として日本史上に深く名を残す。小田原北条氏から謙信の養子に入った上杉景虎は、春日山城を追われて御館に籠城したものの落城し、実兄の北条氏政を頼って小田原へ逃亡すべく鮫ヶ尾城に逃げ延びた。景虎を迎えた城主・堀江宗親は当初味方と見せかけていたが、上杉景勝方に内応して突如離反し本丸に火を放った。退路を完全に断たれた上杉景虎は天正7年3月24日に城内で妻子とともに自刃(享年26)、これにより御館の乱は終結し、上杉景勝による領国権力確立へと至った。落城後に城はそのまま廃絶したため、戦国最盛期の築城構造と激戦の生々しい痕跡が改変されず現代まで純粋に保持されることとなった。
見どころ
上杉景虎が最期を遂げたと伝わる山頂の広大な「本丸跡(主郭)」および自刃の地を示す石碑、発掘調査により大量の炭化米が検出され兵粮備蓄を実証した「米蔵跡」、本丸・二の丸・三の丸を尾根筋で厳重に分断する豪快な「大堀切」群、斜面に刻まれ敵の横移動を遮断した「連続竪堀」、土塁と枡形構造の痕跡を残す「虎口」遺構、山頂本丸から春日山城・高田平野・日本海・妙高連峰を一望する雄大な見晴らし、出土した実際の炭化米や遺物を展示し続日本100名城スタンプが置かれたガイダンス施設「斐太歴史の里総合案内所」、古代の環濠集落である「斐太遺跡」との複合史跡景観、国指定史跡碑・案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
駐車場





斐太歴史の里 総合案内所
続日本100名城スタンプ設置場所











東一ノ丸


















米蔵跡




二ノ丸



大堀切1




井戸





鮫ヶ尾城跡南登城道



鮫ヶ尾城跡東登城道

