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100名城・続100名城 156番
別称 鎌刃要害、番場城、鎌刃城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 382.7m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式
築城者堀次郎(または六角氏・浅井氏)
築城年室町時代・文明年間(1469〜1487年頃)
廃城年天正2年(1574年)頃
主な城主堀氏、浅井氏、六角氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:382.7m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

鎌刃城(かまのはじょう)は、滋賀県米原市番場に所在する中山道と北国街道の分岐点を扼する龍堂山山頂(標高約384メートル、比高約270メートル)に築かれた中世屈指の巨大山城跡である。国の史跡、続日本100名城(153番)に選定。室町期に北近江の在地領主・堀氏により築かれたと伝わる。尾根筋に沿って南北約400メートルにわたり主郭(本丸)、大池、大堀切、水の手、南曲輪群、北曲輪群が直線状に展開する連郭式山城の縄張を持つ。発掘調査では主郭や虎口周辺から戦国期屈指の古い年代に属する野面積み石垣が多数検出され、さらに山城としては全国的にも極めて珍しい石垣で護岸された湧水池「大池(水の手)」や石組暗渠排水路、礎石建物跡、瓦片などが確認された。土塁と大堀切、多数の竪堀による厳重な土木防御と初期石垣技術が融合した戦国山城の傑作として学術上高く評価されている。

⚔️ 歴史的役割

北近江の浅井氏と南近江の六角氏の勢力境界線上に位置し、東海道・中山道および琵琶湖方面を繋ぐ交通・軍事の最要衝として激しい争奪戦が繰り広げられた。城主・堀秀村は当初浅井長政に属していたが、元亀元年(1570年)の姉川の戦いに際して織田信長配下の木下藤吉郎(豊臣秀吉)の調略を受け、家老・樋口直房とともに信長方へ寝返った。これにより信長軍は南近江から小谷城へと迫る兵站・進撃路を確保し、浅井氏滅亡の大きな契機となった。その後、天正元年(1573年)に浅井氏が滅亡するとその軍事的役割を終え、翌天正2年に樋口直房の失脚・越前一向一揆への関与に伴い堀秀村も改易され、間もなく廃城となった。後世の大規模な近世改修を受けず山中にそのまま埋もれたため、織豊前夜における先進的な石垣山城の遺構群が極めて良好な状態で今日まで保存された。

👀 見どころ

主郭周囲を取り巻く戦国期初頭の貴重な「野面積み石垣群」および「主郭(本丸)虎口」遺構、山頂尾根直下に位置し石垣で美しく護岸された全国的にも稀有な山城の湧水池「大池(水の手)」、主郭南側を深く鋭利に断ち切る深さ約8m・幅約12mにおよぶ圧巻の「大堀切」、斜面に連続して刻まれ敵の横移動を阻止した「竪堀群」および「堀切群」、城兵の長期籠城を支えた石組暗渠排水路や井戸跡、南曲輪群・北曲輪群に整然と配置された段状の削平地と切岸、山頂から琵琶湖・伊吹山・長浜平野・中山道番場宿を一望する雄大なパノラマ、山麓に位置する名刹・蓮華寺(番場宿・聖徳太子創建伝承)、国指定史跡碑・案内板

🍲 ご当地グルメ


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🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR東海道本線・北陸本線・東海道新幹線米原駅東口から近江鉄道バス(醒井養鱒場行等)で約15分「番場」下車、登山口(蓮華寺前・番場口)まで徒歩約5分、山頂本丸まで登山道を徒歩約40〜50分(米原市番場・蓮華寺背後の龍堂山山頂一帯、本丸標高約384m、麓比高約270m)

車でのアクセス

北陸自動車道 米原ICから国道21号および県道経由で南東へ車で約5〜8分(番場登山口駐車場まで)、または名神高速道路 彦根ICから車で約15分

駐車場

有(番場蓮華寺前公衆駐車場・鎌刃城跡登山口駐車場、無料約20台)

📍 周辺地図

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