コンテンツへスキップ
100名城・続100名城 -
別称 綾部陣屋、九鬼陣屋、田町陣屋、綾部要害、綾部城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 52.6m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平城
曲輪配置梯郭式・単郭式複合
築城者九鬼大隅守(九鬼隆季)
築城年寛永10年(1633年)頃
廃城年明治4年(1871年)廃藩置県に伴い廃城
主な城主九鬼氏
指定文化財指定なし

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門あり(元:陣屋長屋門、先:綾部市若竹町民家)
遺構 空堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:52.6m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

綾部城(あやべじょう)は、京都府綾部市田町に所在する由良川中流域南岸の河岸段丘・平野部に築かれた近世平城(綾部陣屋)跡である。通称「綾部陣屋」「九鬼陣屋」。志摩鳥羽城主であった名門水軍大名・九鬼嘉隆の孫である九鬼隆季が、寛永10年(1633年)に志摩鳥羽藩から丹波綾部2万石へ転封された際に政庁・居城として築城した。城域は現在の熊野新神社境内および綾部小学校敷地を中心とし、本丸御殿、二の丸、勘定所、長屋などの武家屋敷群が整然と配置されていた。無城大名格式であったため陣屋と称されたが、北方を流れる由良川を天然の外堀に見立て、周囲に土塁、空堀、内石垣を巡らせた平城の構えを成していた。現在は熊野新神社境内に本丸土塁や内石垣の一部が良好に現存するほか、市内若竹町に移築された長屋門が遺存し、藩政時代の面影を今に留めている。

⚔️ 歴史的役割

丹波綾部藩2万石の藩庁として、幕末・明治維新に至るまで九鬼氏が10代・約240年間にわたり領国支配の中枢を担った歴史的重要拠点である。戦国期に織田信長・豊臣秀吉の配下で最強の水軍軍団を率いた九鬼氏であったが、関ヶ原の戦い後の家中分裂を経て内陸の丹波山間部へ移封された。九鬼隆季は内陸の綾部において由良川水運の整備と領民統治に力を注ぎ、城下町の縄張と陣屋の拡充を推進。幕末の動乱期においては、第10代藩主・九鬼隆備が早くから朝廷・新政府に恭順の意を示し、山陰道鎮撫使を迎えて北近畿の治安維持に貢献した。明治4年(1871年)の廃藩置県により廃城となり、多くの建物は破却されたが、陣屋町としての整然とした街区構造は現在の綾部市街地の骨格へと引き継がれた。水軍大名が近世内陸統治大名へと変容した歩みと、江戸期における陣屋町形成の実態を物語る貴重な史跡である。

👀 見どころ

熊野新神社境内の社殿背後に明瞭に遺存する本丸防衛の「土塁」および「内石垣」痕跡、神社の周囲に往時の区画を留める「空堀(堀跡)」凹地地形、綾部市若竹町の民家に移築現存する重厚な「陣屋長屋門」、九鬼氏が陣屋鎮守として崇敬し陣屋敷地内に鎮座する「熊野新神社」、由良川水運と連動した江戸時代の城下町・武家屋敷の町割を色濃く残す田町・本町周辺の歴史的街並み、境内に建立された綾部陣屋跡石碑および綾部市教育委員会設置の解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR山陰本線・舞鶴線綾部駅南口から南へ徒歩約15分、あやべ市民バス(東西線等)で約5分「熊野新神社前」または「田町」下車徒歩約3分(綾部市田町・熊野新神社境内および市立綾部小学校敷地一帯、標高約80m、由良川氾濫原平地比高約10m)

車でのアクセス

京都縦貫自動車道 綾部ICから府道77号・県道8号経由で南へ車で約10分、または舞鶴若狭自動車道 綾部安国寺ICから車で約12分

駐車場

有(熊野新神社参拝者駐車場・中央公民館駐車場、普通車無料約30台)

📍 周辺地図

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

トップへ戻る