概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:陣屋長屋門、先:綾部市若竹町民家) |
| 遺構 | 空堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
綾部城(あやべじょう)は、京都府綾部市田町に所在する由良川中流域南岸の河岸段丘・平野部に築かれた近世平城(綾部陣屋)跡である。通称「綾部陣屋」「九鬼陣屋」。志摩鳥羽城主であった名門水軍大名・九鬼嘉隆の孫である九鬼隆季が、寛永10年(1633年)に志摩鳥羽藩から丹波綾部2万石へ転封された際に政庁・居城として築城した。城域は現在の熊野新神社境内および綾部小学校敷地を中心とし、本丸御殿、二の丸、勘定所、長屋などの武家屋敷群が整然と配置されていた。無城大名格式であったため陣屋と称されたが、北方を流れる由良川を天然の外堀に見立て、周囲に土塁、空堀、内石垣を巡らせた平城の構えを成していた。現在は熊野新神社境内に本丸土塁や内石垣の一部が良好に現存するほか、市内若竹町に移築された長屋門が遺存し、藩政時代の面影を今に留めている。
歴史的役割
丹波綾部藩2万石の藩庁として、幕末・明治維新に至るまで九鬼氏が10代・約240年間にわたり領国支配の中枢を担った歴史的重要拠点である。戦国期に織田信長・豊臣秀吉の配下で最強の水軍軍団を率いた九鬼氏であったが、関ヶ原の戦い後の家中分裂を経て内陸の丹波山間部へ移封された。九鬼隆季は内陸の綾部において由良川水運の整備と領民統治に力を注ぎ、城下町の縄張と陣屋の拡充を推進。幕末の動乱期においては、第10代藩主・九鬼隆備が早くから朝廷・新政府に恭順の意を示し、山陰道鎮撫使を迎えて北近畿の治安維持に貢献した。明治4年(1871年)の廃藩置県により廃城となり、多くの建物は破却されたが、陣屋町としての整然とした街区構造は現在の綾部市街地の骨格へと引き継がれた。水軍大名が近世内陸統治大名へと変容した歩みと、江戸期における陣屋町形成の実態を物語る貴重な史跡である。
見どころ
熊野新神社境内の社殿背後に明瞭に遺存する本丸防衛の「土塁」および「内石垣」痕跡、神社の周囲に往時の区画を留める「空堀(堀跡)」凹地地形、綾部市若竹町の民家に移築現存する重厚な「陣屋長屋門」、九鬼氏が陣屋鎮守として崇敬し陣屋敷地内に鎮座する「熊野新神社」、由良川水運と連動した江戸時代の城下町・武家屋敷の町割を色濃く残す田町・本町周辺の歴史的街並み、境内に建立された綾部陣屋跡石碑および綾部市教育委員会設置の解説案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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