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100名城・続100名城 -
別称 城山、石見要害、大国城、石見城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 152.2m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張山城
曲輪配置連郭式・梯郭式複合
築城者石見義綱
築城年建武年間(1334〜1338年頃)
廃城年慶長5年(1600年)毛利氏防長移封に伴い廃城
主な城主石見氏、小笠原氏、毛利氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:152.2m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

石見城(いわみじょう)は、島根県大田市仁摩町大国に所在する石見銀山と日本海沿岸(仁摩・鞆ヶ浦)を結ぶ交通路上に聳える標高約180メートル(比高約130メートル)の山頂部に築かれた中世山城跡である。通称「大国城」「城山」。国の史跡(世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」を構成する城郭遺跡群の重要関連城郭)。鎌倉末期から南北朝期に石見守護職・石見義綱が築いたことに始まると伝わる。山頂の主郭(本丸)を中心に東西の痩せ尾根沿いに二の丸、三の丸、帯曲輪群を階段状に配置した連郭式縄張を持つ。尾根筋を断ち切る鋭利な堀切、山腹斜面を遮断する竪堀・横堀、主郭周辺の土塁や石垣(石積み)、急峻な切岸、籠城用井戸跡が極めて良好に遺存する。近年の総合調査でも石見銀山防衛網の西の要としてその堅牢な土木構造が高く評価されている。

⚔️ 歴史的役割

戦国期における世界屈指の銀産出地「石見銀山」の鉱山支配および積出港(鞆ヶ浦・沖泊)を扼する防衛拠点として極めて重要な軍事中枢を担った。大内氏、尼子氏、毛利氏が石見銀山の権益を巡り激突する中、在地領主の石見氏や温科氏、邑智郡の小笠原氏らが城主となり、銀山争奪の攻防戦で数々の攻城戦の舞台となった。天文年間以降、毛利元就が石見経略を本格化させると、石見城は毛利方の重要拠点・山吹城の西側前哨陣地として機能。銀山から積出港である鞆ヶ浦へ銀を搬出する街道「銀の道(鞆ヶ浦道)」の警備・中継要衝を完全に掌握した。慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後に毛利氏が防長2カ国に減封され、徳川幕府が石見銀山を直轄天領化したことに伴い城郭としての役目を終えて廃城となった。銀山支配と中世海運連絡網の防衛実態を如実に示す貴重な国指定史跡である。

👀 見どころ

山頂主郭背後の尾根筋を鋭利に掘削して敵の侵攻を遮断した「堀切」および斜面に落ちる「竪堀」・「横堀」遺構、主郭周囲に遺存し中世山城の防壁を物語る「石垣(石積み)」および「土塁」、山腹を削り落とした険峻な「切岸」と山頂付近に残る「井戸跡」、東西尾根沿いに階段状に展開する「本丸・二の丸・三の丸」の広大な削平段群、山頂から見晴らす大国の山間集落・石見銀山方面の山並みおよび日本海方面の遠望パノラマ、世界遺産石見銀山の銀積出港「鞆ヶ浦」へと続く古道「銀の道」との位置関係、登山口に設置された国史跡標柱・詳細な縄張図付き解説案内板

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


🧭 周辺10km圏内の城郭(0城)

※半径10km以内に登録されている他の城郭はありません。

🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

JR山陰本線仁万駅から石見交通バス(大森・世界遺産センター行等)で約10分「大国」下車徒歩約10分、登城口より主郭まで山道・遊歩道を徒歩登山約15〜20分、または仁万駅からタクシーで約7分(大田市仁摩町大国字城山・潮合川上流西岸独立山塊頂部一帯、主郭標高約180m、山麓谷底平地比高約130m)

車でのアクセス

山陰自動車道 仁摩・石見銀山ICから国道9号・県道31号経由で東へ車で約8分、または大田朝山ICから約20分

駐車場

有(石見城登山口前駐車スペース・大国集落集会所駐車場、普通車無料約10台)

📍 周辺地図

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