概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | 複合式 | 天守形式 | 層塔型 |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | あり(備中櫓御殿復元) |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | あり(備中櫓・二重二階) |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | あり(表中門復元) |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | あり |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:四つ足門、先:中山神社南門) |
| 遺構 | 空堀あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
津山城(つやまじょう)は、岡山県津山市山下に所在する津山盆地中央の独立丘陵「鶴山(つるやま・標高約140m、比高約45m)」に築かれた織豊系巨大近世平山城跡である。通称「鶴山城」。国の史跡。日本100名城(67番)および日本さくら名所100選。慶長8年(1603年)に信濃川中島から美作一国18万6500石で入封した森蘭丸の弟・森忠政が着工、13年の歳月を費やし元和2年(1616年)に完成させた。山頂の本丸を中心に二の丸、三の丸を螺旋階段状に巡らせる渦郭・梯郭式縄張を持ち、全山を多段の高石垣(重層石垣群)で覆い尽くす。往時は五層五階の南蛮造り天守をはじめ77棟もの多層櫓が林立し「西日本屈指の防壁」を誇った。明治の廃城令で建造物は破却されたが、壮大な石垣群がほぼ完存し、平成17年には本丸南西隅に往時を象徴する「備中櫓」が木造復元された。
歴史的役割
美作一国の政治・軍事中枢であり、山陽と山陰を結ぶ陰陽連絡街道(津山往来・出雲往来)および吉井川舟運を完全に支配する要衝として機能した。中世には美作守護・山名忠政が鶴山城を構えていたが廃絶。森忠政が入封すると名を「津山」に改め、幕府への配慮から五層天守の四重目破風を切り落とし「四重天守」と言い換えるなど巧妙な政治的配慮を重ねつつ鉄壁の城塞を築き上げた。元禄10年(1697年)に森氏宗家が改易されると、翌元禄11年に結城秀康の孫にあたる松平直矩が越後高田から10万石で入封(越前松平家)。以後は明治維新まで松平家が9代にわたり美作津山藩の藩政を担った。近代には建物群が失われたものの、全山を覆う重厚無比な打込接ぎ高石垣群と緻密な枡形虎口は近世城郭石垣技術の最高到達点として極めて高い歴史的・軍事技術的価値を誇る。
見どころ
全山を幾重にも取り巻く壮大な「高石垣(重層石垣群)」および複雑巧緻を極めた「冠木門枡形・表中門枡形」等の多重枡形虎口群、天守台石垣下から迫り出す巨石「腰巻石垣」や野面積み・打込接ぎの石工技術、築城400年記念事業として天守台南西に木造忠実復元された「備中櫓(畳敷き御殿風内部)」、五層五階の天守が聳えた広大な「本丸天守台跡」、一宮の中山神社南門に移築現存する「旧四つ足門」、春には約1,000本の桜が石垣を覆う「鶴山公園(さくら名所100選)」の圧倒的絶景、本丸から見渡す津山市街地・吉井川・中国山地連峰の360度大パノラマ、登城口に立つ森忠政公銅像および詳細な解説案内板
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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