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100名城・続100名城 -
別称 松波要害、城山、松波城跡
城址碑 あり
案内板 あり
現存遺構 なし
復元遺構 なし
標高 28.1m
最終訪問日 —

📋 概要スペック

種別城郭
縄張平山城
曲輪配置連郭式・梯郭式複合
築城者畠山義智(松波畠山氏)
築城年文明6年(1474年)頃
廃城年天正5年(1577年)上杉謙信配下の長沢光国軍により落城・廃城
主な城主畠山氏、松波氏
指定文化財国指定史跡

🏯 基本情報

天守平面構造なし 天守形式なし
現存御殿なし 再建御殿なし
現存櫓なし 再建櫓なし
現存蔵なし 再建蔵なし
現存門なし 再建門なし
現存土塀なし 再建土塀なし
移築御殿なし 移築櫓なし
移築蔵なし 移築門なし
遺構 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり

🗻 赤色立体地図・微地形判読

中心標高:28.1m (航空レーザ測量データによる微地形表現)
出典:全国Q地図 / 国土地理院
※淡色地図に傾斜量図・陰影起伏図を各透過率40%(不透明度60%)で合成

※ページ内では国土地理院の地形起伏図・傾斜量図(透過率40%合成)を表示しています。上のボタンをクリックすると、全国Q地図にてDEM1A(1mメッシュ)やDEM5Aなどの高精細な赤色立体地図を全画面で確認できます。

📜 概要

松波城(まつなみじょう)は、石川県鳳珠郡能登町字松波に所在する日本海内浦に注ぐ松波川北岸の標高約35メートル(比高約25メートル)の丘陵上に築かれた中世平山城跡である。能登守護・畠山義統の三男とされる畠山義智が文明6年(1474年)頃に築城し「松波畠山氏」を称したことに始まると伝わる。城域は本丸(主郭)を中心に東へ伸びる丘陵尾根上に二の丸、三の丸、外郭を連郭・梯郭状に配し、南面直下の松波川を天然の堀としつつ、北側・東西を深大な堀切、空堀、横堀、土塁、切岸で防御した堅牢な縄張を持つ。平成の発掘調査では大手門付近の居館域から、平石を立て並べて激流・渦巻きを精巧に表現した室町時代末期の本格的枯山水庭園跡(「旧松波城庭園」として国指定名勝)が発見され、京都文化を享受した守護一族の高度な文化的繁栄を現代に伝えている。

⚔️ 歴史的役割

奥能登最大の荘園・若山荘周辺の政治・経済・交通を掌握する軍事中枢であり、七尾城の能登畠山宗家を支える最重要支城として機能した。松波畠山氏は代々常陸介を名乗り、松波川水運と内浦沿岸航路を抑えて在地領主層を統制。戦国末期、越後の上杉謙信が能登平定のため侵攻し、天正5年(1577年)9月に七尾城が落城すると、上杉軍の名将・長沢光国率いる軍勢が奥能登に迫り当松波城を猛攻(松波城の戦い)。最後の城主・松波(畠山)義親は援軍なきなか頑強に防戦したものの力尽きて自刃し、約百年に及ぶ松波畠山氏の支配とともに城は落城・廃城となった。城跡から出土した高度な枯山水庭園遺構は、地方武士団の軍事拠点でありながら中央の公家・禅僧文化が深く浸透していた実相を示す希有な物証である。

👀 見どころ

発掘により発見され室町枯山水庭園の最高峰として国の名勝に指定された「旧松波城庭園跡(立石・平石による水流・滝・渦巻き石組み遺構)」、武道館西側や尾根先端部に遺存する広大な「本丸跡(主郭)」および「二の丸・三の丸」の削平曲輪群、曲輪間を峻険に分断する「堀切」および北側斜面に遺存する「横堀」・「空堀」・「竪堀」遺構、主郭縁辺部を固める「土塁」および山腹を削り落とした威圧的な「切岸」、主郭跡に建立された「松波城本丸跡碑」および国名勝解説案内板、旧のと鉄道松波駅舎を活用した「松波城情報館」の歴史展示、山頂から見下ろす松波川・内浦の海・能登町松波の街並み景観

🍲 ご当地グルメ


おいど攻城記録


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🚃 アクセス

公共交通機関でのアクセス

のと鉄道七尾線穴水駅から北鉄奥能登バス(穴水珠洲線または宇出津珠洲A線等)で約1時間「松波城址公園口」下車徒歩約5分、または旧のと鉄道松波駅前(松波城情報館)より本丸跡まで徒歩約10分(鳳珠郡能登町字松波ラ・松波川北岸低位丘陵一帯、主郭標高約35m、松波川平地比高約25m)

車でのアクセス

のと里山海道 能登空港ICから珠洲道路・県道35号宇出津上町線・国道249号松波バイパス経由で北東へ車で約40分、または穴水ICから約50分

駐車場

有(松波城址公園駐車場・能登町内浦総合支所駐車場・旧松波駅前駐車場、普通車無料約40台)

📍 周辺地図

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