概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・横堀あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
松波城(まつなみじょう)は、石川県鳳珠郡能登町字松波に所在する日本海内浦に注ぐ松波川北岸の標高約35メートル(比高約25メートル)の丘陵上に築かれた中世平山城跡である。能登守護・畠山義統の三男とされる畠山義智が文明6年(1474年)頃に築城し「松波畠山氏」を称したことに始まると伝わる。城域は本丸(主郭)を中心に東へ伸びる丘陵尾根上に二の丸、三の丸、外郭を連郭・梯郭状に配し、南面直下の松波川を天然の堀としつつ、北側・東西を深大な堀切、空堀、横堀、土塁、切岸で防御した堅牢な縄張を持つ。平成の発掘調査では大手門付近の居館域から、平石を立て並べて激流・渦巻きを精巧に表現した室町時代末期の本格的枯山水庭園跡(「旧松波城庭園」として国指定名勝)が発見され、京都文化を享受した守護一族の高度な文化的繁栄を現代に伝えている。
歴史的役割
奥能登最大の荘園・若山荘周辺の政治・経済・交通を掌握する軍事中枢であり、七尾城の能登畠山宗家を支える最重要支城として機能した。松波畠山氏は代々常陸介を名乗り、松波川水運と内浦沿岸航路を抑えて在地領主層を統制。戦国末期、越後の上杉謙信が能登平定のため侵攻し、天正5年(1577年)9月に七尾城が落城すると、上杉軍の名将・長沢光国率いる軍勢が奥能登に迫り当松波城を猛攻(松波城の戦い)。最後の城主・松波(畠山)義親は援軍なきなか頑強に防戦したものの力尽きて自刃し、約百年に及ぶ松波畠山氏の支配とともに城は落城・廃城となった。城跡から出土した高度な枯山水庭園遺構は、地方武士団の軍事拠点でありながら中央の公家・禅僧文化が深く浸透していた実相を示す希有な物証である。
見どころ
発掘により発見され室町枯山水庭園の最高峰として国の名勝に指定された「旧松波城庭園跡(立石・平石による水流・滝・渦巻き石組み遺構)」、武道館西側や尾根先端部に遺存する広大な「本丸跡(主郭)」および「二の丸・三の丸」の削平曲輪群、曲輪間を峻険に分断する「堀切」および北側斜面に遺存する「横堀」・「空堀」・「竪堀」遺構、主郭縁辺部を固める「土塁」および山腹を削り落とした威圧的な「切岸」、主郭跡に建立された「松波城本丸跡碑」および国名勝解説案内板、旧のと鉄道松波駅舎を活用した「松波城情報館」の歴史展示、山頂から見下ろす松波川・内浦の海・能登町松波の街並み景観