概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・横堀あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
大河内城(おおかわちじょう)は、三重県松阪市矢津町・大河内町に所在する阪内川と矢津川に挟まれた標高約115メートル(比高約60メートル)の険峻な河岸段丘舌状丘陵上に築かれた中世屈指の山岳要塞跡である。国の史跡(「大河内城跡」)。伊勢国司・北畠氏第3代当主の北畠満雅が、本拠・多気御所の防衛線を支える重要支城として応永年間に築城した。北・西・南の三方を深い渓谷と断崖絶壁に囲まれた天険の地勢を誇り、東側に伸びる丘陵尾根上に最高所の本丸(主郭)を中心に二の丸、西の丸、御納戸谷、馬場などの郭群を連郭・梯郭状に配置。尾根続きを峻険に断ち切る深さ約10メートル・幅約15メートルの圧巻の二重堀切(大堀切)や横堀、主郭を取り巻く土塁、切岸、籠城用井戸跡が極めて良好に遺存する。織田信長の伊勢侵攻に際し、北畠具教・具房父子が徹底抗戦した「大河内城の戦い(1569年)」の舞台として名高い。
歴史的役割
南伊勢を領掌した名門国司・北畠氏の本拠防衛における軍事中枢であり、織田信長による伊勢平定戦の帰勢を左右した歴史的激戦地である。永禄12年(1569年)8月、尾張・美濃を制覇した織田信長は数万の大軍を率いて伊勢へ侵攻。阿坂城などを落として当城を完全包囲した。城主・北畠具教と具房は約50日間にわたり滝川一益や木下藤吉郎(豊臣秀吉)ら信長精鋭軍の猛攻をことごとく撃退し、鉄壁の防衛力を見せつけた。力攻め困難と悟った信長は和睦を申し入れ、信長の次男・茶筅丸(織田信雄)を具房の養子に迎え入れ北畠家の名跡を継がせる条件で開城。これにより信長は伊勢支配の足頭を確立した。天正4年(1576年)の「三瀬の変」で信雄により具教ら北畠一族が暗殺・粛清されると当城も完全に廃城となった。中世領主の強大な軍事拠点から織田権力による掌握への移行を如実に示す記念碑的城郭である。
見どころ
大河内城跡として国の史跡に指定された広大な「本丸跡(主郭)」および「二の丸・西の丸」の重厚な連郭式曲輪群、尾根筋からの進攻を鋭利かつ立体的に遮断する深さ10m超の圧巻の「大堀切(二重堀切)」および「横堀」・「空堀」遺構、主郭縁辺部に遺存する防衛用の「土塁」および山腹斜面を垂直に削り落とした威圧的な「切岸」、長期籠城戦を支えた「井戸跡」、本丸跡に建立された「国指定史跡大河内城跡碑」および詳細な縄張解説案内板、城跡から望む阪内川の渓谷美および松阪市街・遠く伊勢平野を望むパノラマ眺望、信長本陣跡と伝わる近隣の「桂瀬山(陣城跡)」との位置関係