概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
上原城(うえはらじょう)は、長野県茅野市ちのに所在する諏訪盆地東縁に聳える永明寺山から南西へ派生した尾根山頂部(標高約978m、比高約180m)に築かれた中世山城・館跡である。茅野市指定史跡。信濃国総社・諏訪大社の大祝を務めた名門・諏訪氏が文明年間に本拠として築いた。山麓の平坦地に政庁・居館である「諏訪氏館(御所)」および「板垣平」を構え、背後の峻険な山稜上に詰城を配した典型的な根小屋式山城である。山頂の主郭(本丸)を中心に金毘羅神社郭、物見岩、北曲輪、帯曲輪群を連郭・階郭状に展開。尾根筋には深大な大堀切や斜面に穿たれた畝状竪堀群、主郭を取り巻く土塁、巨石・山石を用いた石積み(石垣)、険峻な切岸、籠城用井戸跡が明瞭に残る。武田晴信(信玄)による諏訪侵攻後は武田氏の信濃経略・諏訪支配の前線拠点として改修され重用された。
歴史的役割
中世諏訪郡の政治・信仰・軍事の中枢であり、武田信玄による信濃侵略戦の起点となった最重要拠点である。戦国期の当主・諏訪頼重は武田信虎の娘(禰々)を娶り武田と同盟したが、信虎を追放した武田晴信は天文11年(1542年)に突如盟約を破棄して諏訪へ侵攻。高遠頼継と結んだ武田軍に攻められた頼重は当上原城を自焼して桑原城へ退き、降伏後に甲府で切腹させられ諏訪宗家は滅亡した。晴信は当城を諏訪郡代・板垣信方の本拠として大規模に改修。信濃平定作戦の兵站補給所および前線司令部として機能させた。天正10年(1582年)の武田氏滅亡後、旧臣の支援を受けた諏訪頼忠が諏訪家を再興したが、本拠を高島古城(茶臼山城)へ移したため廃城となった。戦国初期の守護代・神職領主の居城形態から戦国大名武田氏の軍事拠点への改修過程を克明に物語る第一級の史跡である。
見どころ
山頂に削平された広大な「本丸跡(主郭)」および巨石遺構「物見岩」・「金毘羅神社郭」などの連郭式曲輪群、尾根続きからの進攻を鋭利に遮断する深大な「大堀切」および斜面に無数に連続する「畝状竪堀群」・「空堀」、主郭周辺や曲輪境界に遺存する武田期の「石積み(石垣)」および「土塁」、山腹を削り落とした威圧的な「切岸」と山腹に現存する「井戸跡」、山麓に広がる城主居館跡「諏訪氏館跡(御所跡)」および郡代板垣信方の陣陣跡と伝わる「板垣平」、山頂から見晴らす諏訪盆地・諏訪湖・八ヶ岳連峰および遠く南アルプスのパノラマ絶景、茅野市指定史跡標柱および詳細な縄張解説案内板