概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | あり(元:本丸裏門・表門、先:市内西敬寺山門・妙専寺山門および城址二の丸再移築櫓門) |
| 遺構 | 水堀あり・空堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
飯山城(いいやまじょう)は、長野県飯山市大字飯山に所在する千曲川西岸の標高約335メートル(比高約30メートル)の河岸段丘独立丘陵上に築かれた平山水城跡である。飯山市指定史跡。室町期に高井郡の領主・泉氏が拠ったことに始まると伝わる。永禄7年(1564年)頃、越後の上杉謙信が武田信玄の北信濃侵略に対抗する最前線防衛・出撃拠点として大改修を実施。千曲川を東側の巨大な天然外堀とし、西側に千曲川旧流路の皿川を配した天然の浮城である。最高所の本丸を中心に二の丸、三の丸、帯郭を段状・梯郭状に配し、深大な空堀・水堀、切岸、土塁で防御。近世に入ると皆川氏・堀氏・本多氏ら歴代譜代大名により野面積み石垣や櫓門が整備された。現在、城址公園内には本丸を取り巻く石垣、土塁、空堀、水堀跡が明瞭に残るほか、市内寺院から城内へ再移築された櫓門や市内に移築現存する本丸裏門(西敬寺山門)など複数の城門が現存する。
歴史的役割
越後と信濃を結ぶ千曲川水運および北国街道脇往還(千曲川舟運・飯山街道)の要衝を扼し、川中島の戦いから幕末の戊辰戦争に至るまで決定的な軍事拠点として機能した。上杉謙信は当城に重臣(栗林政頼ら)を配置して信濃前線基地とし、武田信玄による幾度もの攻撃を撃退して越後防衛の生命線を守り抜いた。上杉氏会津転封後は関ヶ原の戦いを経て皆川広照、堀直寄、佐久間安政らが入城して近世城郭へと整備。享保2年(1717年)に本多助芳が2万石で入封して以降は明治維新まで本多氏9代が飯山藩政の中枢を担った。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では旧幕府脱走兵(衝鋒隊)と新政府軍(飯山藩・松代藩軍)が城下で激突(飯山戦争)。城下が砲撃され炎上するなか本丸門が守り抜かれた。北信濃国境の軍事攻防史と近世城下町形成の歩みを克明に刻む第一級の史跡である。
見どころ
飯山城址公園(葵神社境内)として保存された「本丸跡(主郭)」および「二の丸・三の丸」の重厚な平山城曲輪群、本丸周囲に遺存し武骨な風情を漂わせる近世の「野面積み石垣」および「土塁」・「切岸」遺構、二の丸跡に市内寺院から再移築された堂々たる「二の丸櫓門」、市内の西敬寺に移築現存する飯山市指定有形文化財「旧飯山城本丸裏門」および妙専寺に移築現存する城門、本丸と二の丸を分断する深大な「空堀(堀切)」および千曲川・皿川に連なる「水堀跡」、本丸から見渡す千曲川の大河美・高社山・斑尾山および飯山市街地のパノラマ眺望、春に約400本のソメイヨシノが咲き誇る信州屈指の桜の名所景観