概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・竪堀あり・堀切あり・石垣あり・土塁あり・切岸あり・井戸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
西山城(にしやまじょう)は、滋賀県高島市朽木荒川・市場に所在する安曇川上流・朽木谷を見下ろす標高約362メートル(比高約200メートル)の西山山頂部に築かれた戦国期の山城跡である。江戸期の地誌にも記載がなく、昭和54年(1979年)に地元教諭により発見され県教委の調査で確認された。山麓の平時居館である朽木館(朽木陣屋・市場)に対する詰城として築城されたと考えられている。山頂の主郭(本丸)を中心に南北の尾根上に連郭・複郭状に郭を展開。主郭周囲を取り巻く重厚な土塁、北側尾根を厳重に断ち切る圧巻の三重堀切、南尾根の堀切・竪堀、桝形虎口、狼煙台跡、水場(溜枡石積・井戸跡)が極めて良好に遺存する。戦国山城としては珍しく主郭内に建物礎石列や瓦片が確認されており、単なる一時的避難施設にとどまらない恒久的な居住・軍事中枢としての機能を備えていた。
歴史的役割
京都と若狭(小浜)を結ぶ重要街道「鯖街道(若狭街道)」の咽喉部である朽木谷を直下に制圧する軍事・防衛の最重要拠点であった。高島七頭の筆頭・朽木氏は鎌倉期以来この地を領し、室町幕府12代将軍・足利義晴や13代将軍・足利義輝が京都の争乱を逃れて朽木谷へ動座した際、手厚く保護・御座所を提供したことで知られる。当城はそうした幕府要人を擁護する緊迫した戦国期に、有事の軍事要塞として整備された。元亀元年(1570年)の越前侵攻において浅井長政の裏切りに遭った織田信長が、命からがら京都へ逃げ帰った決死の「金ヶ崎の退き口(朽木越え)」の際、城主・朽木元綱は松永久秀の説得を受けて信長を安全に先導・通過させた。この功績により朽木氏は信長・秀吉に重用され、関ヶ原合戦を経て明治まで一貫して同地を支配し続けた。西山城は中世武士団の自立と生き残りを支えた不落の山岳要塞である。
見どころ
山頂に削平され礎石建物痕跡を残す広大な「主郭跡(本丸)」および南北尾根に連なる「北郭・南郭」の連郭式曲輪群、北側尾根からの進攻を立体的に遮断する圧巻の「三重堀切」遺構、南尾根を断ち切る「大堀切」および斜面に掘削された「竪堀」痕跡、主郭縁辺部を強固に巡る「高土塁」と技巧的な「桝形虎口」、籠城用遺構である「溜枡石積・井戸水の手跡」および「狼煙台跡」、山頂や愛宕神社から見晴らす朽木谷の雄大な山河・安曇川の清流・朽木陣屋跡の景観、朽木村教育委員会設置の復元縄張図案内板、山麓に位置する朽木陣屋跡(資料館・井戸・水堀) や足利義晴御座所跡(旧秀隣寺庭園)
ご当地グルメ
おいど攻城記録
周辺10km圏内の城郭(0城)
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